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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: いまモンゴル国は? チンギス・ハンの草の国(1)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/09/23  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「昔三日今四時間二十分」
 モンゴル国に五日ほどでかけた。一九九七年八月のお盆の海外旅行のシーズンである。関西空港から直航便で、四時間二十分、この国の首都ウランバートル(赤い英雄という意味)までひとっ飛びであった。飛行時間という物差しで測ると、モンゴル国は最も短い時間の移動で、“遠い異国”の感じを味わえる国ではないかと思う。少なくともいまの日本人にとっては、である。もっとこの国のことをよく知るようになれば、(韓国や中国のように)話は別だが……。
 出発前、司馬遼太郎の『モンゴル紀行』をあらかじめ読んでおいた。新潟からJALでまずソ連(当時)のハバロフスクヘ。それからイルクーツクまでソ連の国内便で、そこからウランバートルへ。司馬さんは、ソ連領内で、モンゴル人民共和国のビザの発給に手間どっているが、そのためのロスタイムを差し引いても、飛行機の乗り継ぎで三日はかかる長旅であったのだ。ただしこれは七三年の話である。
 当時、この国は、ソ連の衛星国であった。中国とロシアの板バサミになっていたモンゴルは、ソ連赤軍を選び、一九二四年、モンゴル人民共和国を宣言、世界で二番目に古い社会主義国となっていたのだ。司馬さんのモンゴル行きは、日本と社会主義国モンゴルとの間に、細々とした外交関係が樹立された直後であり、遠い遠いブラックボックスの国への旅だったのである。
 いま、この国は格段に近い。旧ソ連風の閉鎖的な秘密主義もない。九二年、社会主義を廃止し、この国の国旗についていた黄色の星印をはずし、国名も「モンゴル国」と改めたのである。
 MIAT(モンゴル航空)のボーイング727機から見下ろすウランパートル。人口六十万、この国の国民の四分の一が住む。草の丘にかこまれた壮大な平原に浮かんでいる。冬は零下四十度、すべてが白くなり、観光客はやってこなくなるという。
「お仕事ですか?」。満席の飛行機から吐き出されたオール日本人のツアー客から声をかけられた。とにかくわれわれ数人(私と、それに五年に一度開催されるモンゴル学会に出席する学者たち)の背広姿が、なんともはや場違いの感を与えていたのだ。われわれ以外は、すべてが観光客である。
 その服装から判断すると、この日の観光客は二つの類型にはっきりと分かれていた。第一は、年齢が六十代。リタイヤ組の夫婦、もしくはあまり若くもないが元気一杯のご婦人のグループ。ユニフォームこそ着てはいないものの、すべてが同じようないでたちである。登山帽をかぶり、小さなサブザックを背負い、スラックスにキャラバンシューズ。東京の青梅線や五日市線の車中でよく見かける奥多摩ハイキングのスタイルだ。言葉を交わしてわかったのだが、服装だけではなく、その生活と意見から推測すると“奥多摩族”と同じ“人種”に属する人々である。
 第二の類型は、二十代と三十代の男女。個性的でカラフルなシャツを着こんではいるが、アゴヒモのついた帽子とサングラス、大きなザックをかついでいるところはみんな同じ。革製の長靴をぶらさげている人もチラホラ。
 この二つの対照的なツアーが、日本人の夏のモンゴル観光の定番である。前者の“奥多摩族”のお目当ては、草原のトレッキングと歴史散歩だ。チンギス・ハンや元寇、それにいまだに日本では、何のことやらさっぱりわからないノモンハン事変の敗北(モンゴルではハルハ河の戦いの大勝利と呼んでいる)など、なんとなく神秘的で親近感のもてる“蒙古”について刷り込まれた昔の知識とイメージ、現地で確かめたい戦前・戦中派である。
 ところが、この「蒙古」という言葉、モンゴル国人は好まない。昔の中国人が、「モンゴル」の音を漢字で表現したもので、「わけがわからん」という意味だからである。「アイマイ、モコ」に通ずるのだ。中華思想で天動説の昔の中国人は、彼らにとって辺境のユーラシアの地名には、変テコな当て字を使っている。匈奴、鮮卑、突厥etc。飛行機で隣り合わせだったモンゴル学会の学者さんの話では、匈奴とは「わけのわからん言葉をしゃべる奴」という意味だとのこと。そういえば、中国の魏(高くて大きい意)の国は、日本を倭と呼んでいた。この字はチビの矮小につながるのではないか。
 こんな話にまったく無頓着なのが、モンゴル観光の後者の類型に属する二十代、三十代だ。この人たちにとって、内蒙古とか外蒙古のような区別はどうでもよろしい。モンゴル国とは清朝から独立を勝ちとった外蒙古のことなのだが、お目当ては歴史ではなく、大草原の乗馬である。日本では大金持ちでもめったに機会のないホースライディング。OLが夏のボーナスの半分も注ぎ込めば、十日間、騎馬軍団をひきいて草原をかけめぐったチンギス・ハンの気分をちょっぴり味わえるツアーに参加できる、とのことだ。そのOLがいう。
「私たちはリピーター。これで三年目の夏。馬は一度来るとやめられなくなる。ゲル(組み立て式の円型テント。戦前・戦中の奥多摩族の世代は中国語のパオのほうがなじみがある)で飲む馬乳酒は最高。あのお酒はくせになる。でも会社には行き先は内緒。変わり者だと思われるのが、いやだから……」
 リピーター。この日本の旅行業者英語、アメリカでは、常習犯とか、落第して同じ学年に二度も三度も留まる意味に使われる。そんな語法を彼女たちが知る由もないのだが、単なる“繰り返す人”よりも、こちらのほうがこの手の旅行者にはぴったりと来る。モンゴルに淫してしまうのである。「淫する」とは、度が過ぎる、ふける、おぼれる事をさしていう。日本人にとって、東西冷戦構造の突然の崩壊によって出現した海外ツアー旅行の特メニュー、モンゴル。この国は、日本の大衆を引きつける何か不思議な魅力をもっている。
 後日、わかったのだが、この日、私の乗ったモンゴル航空直航便は、定期便だけでは日本人観光客をさばき切れず、臨時便を二回も運行したとのことだ。しかも、ボーイング727の同じ機体が、関空?ウランパートル間を、昼夜兼行で三往復もしたという。この飛行機、モンゴル航空が韓国から格安で譲ってもらった中古品だそうで、「そんなに酷使して機の安全は……」と、いらぬ心配をさせられた。
 多分、乗員は交代したのだろうが、モンゴル人スチュワーデスの日本語は、抜群にうまい。英語もJALやANAよりも上である。モンゴル人は、語学の天才だそうである。
 



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