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“探し求めたモンブランのケーキ” 海外旅行には、ちょっとした思い込みがつきものである。いや、とくに大事にいたる話ではないのだが、例えばである。ティファニーがレストランだと思い込んだり、アメリカのミネソタ州の名物はタマゴ売りだと信じて疑わなかったという類の話なのだ。ティファニーは宝石屋だし、そもそもいまのアメリカにタマゴ売りの行商などは存在しない。 このような珍談がなぜ起こるかというと、これは、外国についての誤ったイメージの、刷り込み現象のなせるわざなのだ。 オードリー・ヘップバーン主演の映画、「ティファニーで朝食を」や、大昔、日本ではやった暁テル子なる歌手の「ミネソタのタマゴ売り」のメロディが、頭に焼きついていたために起こる笑い話だ。 私は、その昔、ワシントンに三年半ほど駐在した経験があるが、日本からやって来たお客さんで、「ワシントン広場を案内してほしい」との要望が、三、四回あった。「ホラ、おいでなすった」と内心ニンマリしたが、「あのね。ワシントン広場はニューヨークにあるんですよ」とさりげなくお断りしたものだ。アメリカのポップミュージック「ワシントン広場の夜はふけて」も時には罪作りなことをする。 海外については一応知ってるつもりのかくいう私が、今回スイス旅行で同じような小さな失敗をやったのである。モンブランの頂がレマン湖越しに見えるホテル・ボー・リヴァージュに泊まった(このホテルの一番安い部屋ではあったが)こともあって、私は「モンブラン」という名称が気にかかって仕方がなかった。ハプスブルク帝国の絶世の美人、エリザベート皇后の常宿だったこのホテルの二階スイートのバルコニーで、「彼女が見たモンブランの風景もかくありき」などと、薄幸の彼女の身の上を思ったりもした。彼女はホテルの部屋を出て、目と鼻の先のモンブラン橋のたもとから蒸気船に乗り込もうとしたところを、一人の狂気の男に暗殺されたのである。 そういう故事来歴をあらかじめ知識として仕込んでおいたこともあって「モンブラン」には出発前から格別の思い入れがあったのだ。日本で“モンブラン”といえば、洋菓子を連想する。例の、マロンクリームの上に、白のメレンゲののったケーキだ。だから、本場のモンブランをジュネーブで試そうと思って、デパートの菓子売り場や、洋菓子屋を何軒かのぞいたのだが、モンブランなるケーキには、ついぞお目にかかれなかったのだ。「そんな名前のケーキは当店では売っていない」というのだ。 品数の多いのはチョコレートのほうで、何十種類も並んでいるが、ケーキはほんの申し訳程度しか置いていないのだ。「モンブラン」なる洋菓子は、「どら焼き」「カステラ」「マロングラッセ」「ショートケーキ」などと同列のパン菓子の態様を示す普通名詞のはずなのに、モンブランの元祖であるスイスにそれがないのは、いったいいかなることか。スイスとは変テコな国だといぶかったものだ。 この謎が解けたのは、帰国してから二週間もたってからだった。雑学の大家の若い友人にこの話をしたら、一冊の本を探してきてくれた。『東京名物』(早川光著、新潮社刊)という小冊子である。この本によるとなんと「モンブランはれっきとした東京発祥の洋菓子」であったのだ。昭和八年、登山好きの洋菓子店主が、モンブランの登山口、シャモニーを旅行した際、海抜四千メートのこの美しい白い山に魅せられた。この人は大変義理がたい人であったらしく、わざわざシャモニーの町長に会って「モンブラン」を洋菓子屋の店名とケーキの名称に使わせてほしいと許可を求めたのだそうだ。それが東京・自由が丘の同名の洋菓子店の由来とのことだ。ケーキのモンブランは、その店主がアルプスの岩肌と万年雪をイメージして独自に開発した労作なのだが、あえて商標登録をせずに、「知的公共財」として公開したので、日本中のどこのケーキ屋でもお目にかかれる。 こうした日本国内にだけ通用する「モンブランケーキ」の普通名詞化が、私をして誤った思い込みをスイスに対して抱かせた。やっぱり「渡る世界には鬼もいる」。私の海外旅行体験の“お粗末”の一席というわけである。スイスという国は、日本人にとって、知名度、好感度のかなり高い国なのだが、探し求めたモンブランのケーキの失敗例に限らず、一筋縄では、とらえにくい国なのである。 スイスを訪れる日本人旅行者が先を争って求める商品に、チョコレートとバーリーの靴がある。これも、日本国内で刷り込まれた思い込みが背景にあるのではないかと思う。この国でチョコレートを何箱も買う日本人旅行者のなかで、なぜカカオも砂糖も生産しないスイスでチョコレート製造業が世界で冠たる地位を占めるに至ったのか??考えた人は少ないようだ。十九世紀の後半、スイス人ダニエル・べータなる人が、ミルクチョコレートを考案したからである。 それまでは、スイスに限らずどこの国でも、チョコレートはカカオ砂糖菓子であり、この国ではなぜか薬屋で販売されていたという。ミルクを混入し化学的製法が導入されたことによって口の中でとろける現代のチョコレートが誕生、爆発的な人気を博し、この国が、チョコレートの元祖となったのである。そこまではよいのだが、今日のスイスのチョコレートのお値段と味を比較すると、それほど珍重すべき土産品ではないように思えてならない。とにかく高い。ジュネーブのデパートで調べたのだが、量り売りのチョコは、百グラム七・五フラン、一スイスフランは八十円。チョコ百グラムは、三センチ大の粒が四個である。味も値段のわりではない。日本のチョコレートのほうが、安いしむしろ品質も上等である。 日本では超高級ブランドで名の通るバーリーの靴にしても、思い込みが強すぎるのではないか。バーリーの名をこの国が世界にとどろかせたのは、高級品の趣をもつ靴を機械の流れ作業によって大量生産する方法を、スイス人、カール・フランツ・バーリーが開発したからなのだ。これも十九世紀の話なのだが、当時のヨーロッパでは靴はオーダーメードと決まっており、工場製のものは嫌われた。そこで、牛皮の輸入先であるアルゼンチンやブラジルで売ったのである。それがバーリーの起源である。バーリーの品質はかなり良いが、それも値段との相談である。 スイス人とは、ほんとにブランド作りのたくみなエコノミックアニマルである。思い込みのブランド信仰でスイス製品に飛びつく日本人は、実はエコノミックアニマルではない??と言えるのではなかろうか。
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