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著者: 笹川 陽平  
記事タイトル: 中国 故とう小平氏 2)  
コラム名: 地球巷談 10  
出版物名: 産経新聞  
出版社名: 産経新聞社  
発行日: 1997/03/09  
※この記事は、著者と産経新聞社の許諾を得て転載したものです。
産経新聞社に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど産経新聞社の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  父と「義侠の心」通じ合う
 前回、訪中した日本の要人が中国要人と会談する場合、中国側の主張に耳を傾けるだけでなく、自分の意見もはっきりと主張すべきであると申しました。たとえ意見が分かれても、双方が胸襟を開くことが、信頼関係構築の要(かなめ)だと思います。
 さて、とう小平さんと父、笹川良一との初会談については、こんなエピソードもありました。「アフリカの人々が飢えに苦しんでいる。私はスキとクワによる農業自立を教えている。あなたは十二億の民を飢餓から救った。その力をアフリカ農業のために貸してほしい」と父は詰め寄ります。
 「中国はいまだ貧から脱していません。アフリカ支援までは手が届きません」とにべもない答えです。それでも父は怯(ひる)まずに「ぜひとも協力を」と食い下がります。こうした押し問答が三度続いた末、「関係部門に話してみましょう」との言葉をとう小平さんから引き出しました。
 後日、「笹川先生と会われていかがでしたか」と側近が尋ねたところ、「義侠心(ぎきょうしん)のある大きな人だ」と答えたそうです。私のとう小平さんへの印象は、身体は小さいが肝っ玉が太く、思想信条に縛られない人間味ある人物というものでした。
 思えば、とう家とのお付き合いも長くなりました。長男のとう樸方氏が身障者の全国組織(中国残疾人福利基金会)を設立する際には、日本にお招きし、組織づくりのノウハウを学んでいただきました。
 また、三女の簾榕さんは、笹川日中友好基金の中国側副会長を務めておられます。基金の会議で私が議長を務めますと、「もっと私に発言時間をください」とほほえみながらクレームをつけてくるすてきな女性です。この基金は一九八九年、天安門事件で中国が国際的に孤立化し、日中関係も冷え切ったなか、なんとか民間レベルで両国関係をつなごうと百億円規模で設立したものです。
 さて、とう小平さんは父を「義侠心」との言葉で表しましたが、共産主義と義侠心というのはソリの合わない言葉にように思われます。しかし、思想信条が違っても、お互いに人間として信頼し合い、正義のために戦う人物として認め合うという考え方が、古来中国にはあります。義とは胆中のきれいな人の意であり、侠は人を助ける男気の意ともいわれています。要は人間関係の根本が「義侠の心」なのでしょう。
 とう小平さんは四川省の生まれでした。四川省とは三国志時代の蜀国のことです。劉備、関羽、張飛による「桃園の契り」の気風をとう小平さんは大切になさっていたのかもしれません。
 



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