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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: ストックホルム体験紀行(上) 北欧的平等社会を考える  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/02/13  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「Qナンバー」の民主主義
 空港から空港経由で、海外旅行をやっていると、その国の事情がいまひとつわからないまま帰国してしまうことになりがちだ。仕事の都合で、二日しか滞在できない時、空港からホテルヘ、そしてタクシーであらかじめ約束した相手を訪ねインタビューし、帰路、旅行案内書にある名所をちょこっと訪ね、そしてホテルから空港に直行し帰国する。仕事がらみの海外出張とはだいたいそんなもので、旅の印象もいつしか消えてしまう。
 今回も漫然と旅をしていたら、そんなことで終わったかも知れない。私は旅先でそういった類の危険を感じた時は、列車に乗ろうが乗るまいが、その都市の中央駅に一人で出かけ、少なくとも一時間、人々を観察したり、キオスクでちょっとした買い物をすることにしている。駅には、喜怒哀楽までは洞察できないかも知れぬが、人々の多様な表情や生活が感じられる。駅は空港よりも、古い歴史と伝統をもっており、その国の文化や社会システムの縮図でもある。
 二〇〇〇年九月五日午後、ストックホルム中央駅。繁華街にあるこの駅は、三本の地下鉄路線が地下駅に入り、地上はオスロとコペンハーゲン行きの国際列車と長距離国内線、駅前は長距離国際バスターミナル。「パリまで三十時間」とあった。目と鼻の先に毎年ノーベル賞授賞式の行われる市庁舎の尖塔が見える。人口百万そこそこの都市の駅にしては巨大である。
 駅構内の「FOREX」(両替所)の窓口に出かける。「US百ドルをスウェーデン・クローネに交換してほしい」と言ったら、いきなり「Qナンバー」と窓口のオジサンに怒鳴られた。さて「Qナンバーとは何ぞや」。一瞬とまどったが、幸いにも「番号札」だと気づくのにさほど手間どらなかった。旅の予習のつもりで読んでおいた欧州発行の『北欧旅行案内』に、「窓口の番号札は、平等意識の旺盛なスウェーデン人の発明で、この国に限らず北欧人はうっかり行列に割り込むと、わめきたてる」とあったのを思い出したからだ。
 だが、この時窓口には私以外のお客は一人もいなかったのであり、割り込みなど発生しようがない状況であった。窓口の三メートほど脇にある「Qナンバー発行マシン」から番号札をとり、両替の交渉をしたのだが、こんどは一ドル札を三枚もってないか」とのたまうではないか。私にとってスウェーデン人はどうも肌に合わぬ人種である。「スウェーデン人は英語がウマイ」が日本の俗説だが、「英語がウマイ」のではなく、「英語が話せると思っている人間が多い」と訂正すべきだ。何度も聞き直した末に、「クローネのきりのよい金額と交換してやるから、あと三ドル出せ」と言っているのがわかったのである。
「一ドル札はない」と頑張ったら渋々、小銭付きで交換してよこしたが、何たるお役所的態度であるのか。「お客様は神様」などという文化は、この北ゲルマン人を祖先にもつ社会民主主義国には存在しない。なんたる四角四面の形式的平等主義者であるのか。だいたい態度が大きい。「スウェーデン人は北欧の大国意識が強く、知識人は乙にすまし、一般人は支配者づらをする」とこの国の前の訪問先、フィンランドで聞いては、いた。
 このささやかな体験がきっかけとなり、北欧的平等社会の発祥の地、スウェーデンで「平等とは何ぞや」について考えさせられたのである。「民主主義」なるものを因数分解すれば、自由と平等の二つの因子に分かれる。このどちらに重点を置くかによって民主主義のあり方が異なってくる。ひとつは個人中心の民主主義観で、個人の自由を尊重し、他の個人の自由を侵害しない限り国家は干渉しないアングロ・アメリカ型民主主義だ。
 もうひとつは、個人の自由よりも社会的平等を優先させることにより、個人と社会の利益を調和させる社会民主主義だ。スウェーデンをはじめとする北欧の民主主義がそれであり、世論調査をすると常に過半数が[個人の利益より社会の平等を」と答えるお国柄だ。
 
スウェーデンの“あの世”の平等
 平等の概念には、「機会の平等」「結果の平等」があるが、「機会の平等」が、この「Qナンバー」のエピソードに相当する。それにしても、客が並んでもいないのに、「Qナンバー」とわめくのは行き過ぎではないのか。「結果の平等」は、税金がベラボウに高いことだ。スウェーデンに限らず北欧の税制は、収入の四五〜七〇%が税金にもっていかれる。生活水準の不平等を補うための高福祉に莫大な金がかかるからだ。つい一世紀前のスウェーデンは身分社会であり貧富の差が著しかった。
「この国はねエ。国内でいくらまともに働いても絶対に金持ちにはなれない国だ。税金でもっていかれちゃうからね。ストックホルムで、いい家に住んでいるとインチキしてると思われる。本当の金持ちは外に逃げる。そして稼ぐ。第一次大戦後ずっと続いている社会民主主義政権が誕生する以前の資産家たちは、海外に投資したり、国内に財団を設立したりして結構うまくやっている」とたまたま雇った車のドライバーのダン・ワシレスクがそう言った。ダンはルーマニア出身で、父親は元カナダ大使、チャウシェスクに粛清された。学位を持ち語学の堪能な彼は母親とともに命からがら国外に脱出し、この国にもぐり込んだという。
「ブカレストの日本大使公邸のすぐ近くに大きな美邸をもってるんだけど帰る気がしない。このまま金持ちでも貧乏人でもない人生をこの国で送るしかない」とダン。「たしかに平等はたいくつで、アメリカン・ドリームみたいなものはないけど、仕方がない。ストックホルムに墓場を買ったよ」と言った。
 その墓場に連れていってもらった。この国の“あの世”の平等はどんなものか体験したかったからだ。「DENNA MOR。一九二三年〜三二年。失業者たちによって建設される」の碑が立つ市営墓地である。二十五年契約で日本円で約十万円で求めた彼の区画にはルーマニア正教の小さな石の十字架があった。一九二〇年代、スウェーデンに大飢饉と疫病が襲い多くの人が死んだ。当時のこの国は世界有数の鉄鋼業が栄えていた。
 社会党政権は、「貧しくとも安らかに眠れる」の理念のもとに鉄鋼業から上がる税金をつぎ込み“あの世”の平等を実現した。森をそのまま残し十二平方キロの火葬場つきの大墓地を建設した。区画の面積はすべて同じ、棚を作ってはならない。十字架や墓石の大きさもすべて同じ、富を誇示するような装飾は一切禁止で、“視覚の上での平等”を確保している。一九八○年、世界的名女優グレタ・ガルボもこの墓に入り、この国の“あの世の平等”に参加したとのことだ。
 ストックホルム滞在中、駐スウェーデン藤井大使と懇談する機会があった。氏は旧大蔵省出身であり、私の新聞記者時代の旧知の間柄である。旅のテーマの一つ「北欧の平等主義」について、感想を求めたら「そう。一見平等なんですけどね。この国で平等であるということは身分制度や階級がないということを意味しません。その意味では日本の方が心情的には平等主義なのかな」と言うのである。
 
電話帳にみる身分制度
 私の泊まったバルト海に面したグランド・ホテル沿いの海岸通りにSTRANDVAGENという名の高級住宅街があった。この国の情報を色々と教示してくれた勝部・サンドベリー・敦子さんに、藤井大使の感想を紹介したら、「その通りよ。ここがその証拠よ」との答えが戻ってきた。敦子さんはスウェーデン人の医師を夫にもつ、日本人である。「ここの住人はね、スノッブよ。人に住所を教えるとき、街の名称は絶対に言わないの。番地だけ言えばわかるでしょ。私はあんたたちとは違うのよ、と言いたいのね」。旧貴族、昔からの資産家、そして弁護士、会計士、医師などの特別な階級の住む住宅地であるという。
 彼女とはストックホルムの「すし善」という名の日本食堂で話をした。「北欧的平等主義の中の、その身分制度とやらを端的に示す他の例はないの」と言ったら、彼女は一冊の電話帳を店から借りてきた。職業別のイエローページではなく、普通の電話帳だ。試みに「ANDELSSON」という姓の項目を六〇ページほど調べたら、五十人に一人ぐらいの割合で、肩書きもしくは身分がついていたのである。重役、社長、保険代理業、医師、PHD、正看護婦、校長、陸軍少佐、女官、侍従(ちなみにスウェーデンは立憲君主国である)、職長、弁護士、会計士etc。なかには「AF」というのもある。貴族の家系を示す称号だ。
「有名レストランの予約でいったんは断られたが、“AF”をつけたら席をとってくれたなんていう話もある」と彼女は苦笑した。みんなが中流だという建前の平等社会であるからこそ、鼻の差がモノを言う。わずかな差が嫉妬の的になったり、逆に敬意の対象となったり……。北欧の平等主義文化とは、そういうものであるらしい。カネよりもむしろ身分で差をつけているのである。
 



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