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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: いまだ残る流出油!!  
コラム名: 「エリカ号」事件の現場を訪ねて   
出版物名: 海上の友  
出版社名: (財)日本海事広報協会  
発行日: 2000/10/21  
※この記事は、著者と日本海事広報協会の許諾を得て転載したものです。
日本海事広報協会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど日本海事広報協会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  フランス・ブルターニュの海岸には波間に重油が漂っていた
「ビスケー湾に臨むリゾート地ラ・ボール郊外の入江で、事故後十カ月が経っても波間に漂う重油を見て、九七年一月に日本海で発生した『ナホトカ号』事件の処置がうまくいったのだと痛感した」??日本財団海洋船舶部の山田吉彦氏はこのほど、昨年十二月にフランス・ブルターニュで発生した「エリカ号」の事故現場を訪ね、その印象をこう本紙にレポートしてくれた。同氏の緊急報告全文を紹介しよう。
 
日本財団・山田吉彦氏が緊急レポート
 去る十月二日から六日にかけて開催された国際海事機関(IMO)第四十五回海洋環境保護委員会においてシングルハル・タンカーのフェーズアウトが主要議題として取り上げられた。
 昨年十二月にフランスの大西洋沿岸で発生した「エリカ号」重油流出事件を契機とし被害国であるフランスを中心に欧州諸国から油流出の危険度の高いシングルハル・タンカーの早期陶汰を目的としたMARPOL条約附属書の改正案が提出されたのである。
 初秋のブルターニュの空は、低気圧の影響でめまぐるしく表情を変えた。朝から降っていた雨は、昼前に上がり、眼前に広がる大西洋は、灰色から碧色へと海の色を急速に変えていった。
 
 油濁汚染との闘い続く
 フランス西部にあるブルターニュ地方は、北は英仏海峡と南は大西洋に大きく顎のように突き出した岬である。この地方の南部沿岸は、白い砂浜と切り立った断崖が交互に現われ美しい海岸模様を繰リ広げている。
 しかし、入江の砂浜に立つと、そこにはこげ茶色の油の固まりが散在し、また、海岸の岩肌のあちこちに黒い重油による汚れが痛ましいまでに残されていた。それは、過去の痕跡というよりは、現在も油濁汚染との闘いが続いていることを物語っている。
 昨年十二月、パリの人々にも愛されるリゾート地帯である、このブルターニュの海岸で世界を震撼させる事件が起った。一九九九年十二月十二日、マルタ船籍のタンカー「エリカ号」(三万七千二百八十三重量トン)が、ブルターニュ地方西部ブレストの南約七十海里の地点で波高六メートにおよぶ荒天航行中、船体を二つに破断し、積み荷である多量の重油が流出した。
 「エリカ号」(以下E号)は、ベルギーの国境に近いフランスのダンケルク港で重油約三万トンを積載しイタリアヘ向け航行中であった。
 「E号」からの重油の流出量は、約一万四千トンと推測されている。「E号」の二十六人の乗組員は、遭難信号を受信したフランスの海難救助調整センター(MRCC)の手配によりフランス海軍のヘリコプター二機とイギリス海軍のヘリコプター二機により全員が吊リ上げられ救助された。「E号」船体は、翌十三日船体前部に六千トン、船体後部に一万トンの重油を抱えたまま、大西洋の水深百二十メートの海底に沈没した。
 十五日、フランス政府は欧州各国に流出油回収への協力を要請するとともに、国家緊急計画(POLMARプラン)を発動し流出油の回収に着手した。しかしながら折からの荒天とクリスマス休暇による作業の中断により、流出油の除去は遅々として進まなかった。
 二十六日、クリスマス休暇で油回収作業が中断している間に、大型の低気圧の通過による暴風雨がフランス西部を襲った。沖合いを漂っていた流出油は、またたく間にブルターニュ地方の四百キロに及ぶ海岸線を黒く覆った。
 この地方は、美しい海岸線を観光資源とし、また、オマールエビやブロンというフランス・カキなどの海の幸がこの地域の人々の生活を支えてきた。
 流出油が漂着した海岸にでは、自治体職員、軍隊、消防団、住民、ボランティアなど総勢五千人が波打ち際での油回収作業に従事した。しかしながら、広範囲にわたり一度着岸してしまった油を回収除去することは容易ではなく、海水浴場などの人目につく海岸での作業を優先せざるを得なかった。
 
船舶の安全水準を統一しよう
 フランス政府は一九六七年に十四万五千キロリットルもの油が流出した「トリー・キャニオン号」座礁事件、一九七八年油流出量が二十六万キロリットルにも及んだ「アコモ・カディス号」事件などを経験し、海事長官を責任者とするPOLMARプランに基づき流出油防除活動を行う危機管理体制が整備されている。また、近隣諸国との合意及び協定により英国、オランダ、ドイツなどの防除船が動員可能とされている。実際に十二月二十日から二、三日の間、各国の油回収船の協力による作業が行われた。
 しかし、事故発生から十カ月経った現在でもブルターニュ地方南部の海岸のいくつかは、「E号」から流出した重油による汚染に苦しめられている。現場における活動について海事長官は、POLMARプランに盛り込まれている理論、専門的事項は、ほとんど実践できなかったと総括している。
 その理由は、1)海象・気象条件があまりも過酷であり、実際の作業が妨げられた2)冬季であり、日照時間が極端に短く作業時間が圧縮された3)「E号」から流出した重油が高粘度であり、海上浮遊中にその性質が大きく変化し、対応が遅れた4)五つの地方部局、二地域が防除に関与したが、それぞれの関係者および中央省庁からのプレッシャーを受けながらの作業指示であった??としている。
 「E号」沈没の事故原因は、「E号」は二十五年の老齢船であり、傷みが激しく荒天に耐えきれず、船体が破損したためであると考えられる。
 事故原因に関係し、この「E号」沈没・油流出事件は、いくつかの問題提起をしている。
 そのひとつはいわゆる「クラスホッピング」といわれる船級協会の変更である。
 「E号」は、建造時の一九七五年NK(日本)でクラスを取得し、七九年ABS(米)、九三年BV(仏)、九八年RINA(伊)へと船級協会を変更している。とくに九六年六月、BVが検査を実施し、船体の腐食を指摘し、バラストタンク内の全検査を勧告したにもかかわらず、その後RINAに転級している。
 また、「E号」は、事故以前の二年間において四回のポートステートコントロールを受けているが、他の軽微な指摘程度にとどまっている。今後、各国の船舶の安全性についての水準の統一が求められよう。
 ビスケー湾に望むリゾート地ラ・ボール郊外の入江で、事故後十カ月がたっても波間に漂う重油を見て、九七年一月に日本海で発生した「ナホトカ号」事件の処置がうまくいったのだと痛感した。
 実際のところ「ナホトカ号」から漏れた九千キロリットルの重油は、夏前にすっかり除去されていた。
 日仏間では、国民性の違い、考え方の違いがあるものの日本の海上保安庁、海上災害防止センター、その他の関係者の方々とボランティアの努力に敬服するところである。
 



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