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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 新彊ウイグル紀行(上) 空から訪ねたシルクロード  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/01/新年特大号  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  マルコ・ポーロも書けなかった
 一九九八年秋、中華人民共和国の西域、新彊ウイグル自治区をあわただしく訪問した。北京を訪れ、遅浩田・国防部長と人民解放軍の日本語通訳の再教育など文化交流について会談したあと、招待者の中国国際戦略学会(会長・熊光階副総謀長)が、“絹の道旅行”を勧めてくれたからだ。
 北京から鳥魯木斉(ウルムチ)へ。そしてまた中国の西の国境に近いシルクロードの巨大なオアシス喀什(カシュガル)へ。マルコ・ポーロや三蔵法師のように陸路で行きたいのはやまやまなれど、時間がない。いずれも空の旅だった。
 機中で地図書を開く。ウルムチを首都とする「新彊ウイグル自治区」はとてつもなく広い。日本の四・四倍、EUがほとんど入ってしまうほどだ。人口千七百万人、漢族以外に十三の少数民族が住んでいるが、この自治区の多数派は、トルコ系の少数民族ウイグル人である。人口の九〇%を占めており、このほかカザフ、キルギス、タジクなどイスラム系中央アジア人が住み、漢人は一〇%に満たない。人口密度は一平方キロに十人だ。
 中国民航の窓際から眺める天山山脈のパノラマは壮観である。これぞ『東方見聞録』のマルコ・ポーロが、書きたくても書けなかった光景ではないか。当時、鳥よりも高く空から山を見物するなんて、この冒険的想像力に富む旅行作家も想像すらできなかった世界だ。北京から二時間五十分飛ぶとウルムチである。鉄道も北京西駅から、一日一便出ている。絹の道の起点、西安経由で、シルクロード沿いに鉄道線路が走っているが、時刻表で調べたら所要時間は六十八時間だった。
 バスなら、西安?ウルムチ間をシルクロードのオアシスの街を見物しながら乗り継いだら、急いでも十日以上の行程だろう。点を求めて線を行く旅だが、途中、秦の時代にはすでに村があった天水、黄河の都市蘭州、酒の湧き出る泉の伝説のある酒泉、ゴビ砂漠の町敦煌、高昌国のあった“愛しの吐魯番(トルファン)”あたりは、ぜひとも訪れたかったオアシスだった。だが、今回は飛行機の旅である。
 北京発のフライトは、モンゴル国の境界線を侵犯しないように内モンゴル自治区の北端の砂漠を飛び、新彊ウイグル自治区の上空に接近する。この付近から長安の都(今日の西安)から一本道だったシルクロードは三つに枝分かれする。北の道はハミ、ウルムチ、イーニンを通ってカザフスタンに抜ける天山北道、タクラマカン砂漠の北をウルムチを経てカザフスタンにも通ずる天山北路、タクラマカン砂漠を天山山脈の南側沿いにトルファン、クチャ、カシュガルに至る天山南路、同じくタクラマカン砂漠を敦煌から崑崙山脈の北側沿いにホータン(和田)を経て、カシュガルで枝分かれした二つの天山路と合流する。
 民航機は天山北路上をウルムチをめざす。途中のオアシスの町を訪問できぬ埋め合わせのつもりで、ロシア製のあまり乗り心地のよくないイリューシン旅客機の窓にひたいを密着せんばかりの姿勢をとり、眼下の景観を観察した。「凄い」「偉大」「美しい」。たしかにそうには違いないのだが、そういう表現を超える何かがある。自然と先代の人間の造った造形物に筆が負けそうになるのだ。
 目を砂漠と山に向ける。はるか南に頭に雪をかぶった山脈が見える。東大に留学し日中教育比較史で修士をとった日本語の名人の于展君が、●(示におおざとへん)連山脈だと教えてくれる。主峰のアルトウン山(五七九八メート)とおぼしき山の頭が、西陽に照らされ、オレンジ色にテカテカと光っている。多分、頂上は万年氷が張りついているのだろう。眼下は、砂漠が広がり、水のない川が幾筋も走っている。雨期には水が流れるし、たまには洪水もあるという。シルクロードらしき細い線に沿って、村が見える。ポプラ様の樹木が風避けに植えてあるようにも見える。だが高度が高いので確かめようもない。

ゴビ砂漠は実在せず?
「いよいよゴビ砂漠だね」と言ったら、于展君が一瞬奇妙な顔をしたあと、フッ、フッ、フッと含み笑いをした。彼はいう。
「やっぱり先生は日本人ですね。中国にはゴビ砂漠などというものは存在しません」
「エッ、そんな馬鹿な。日本ではゴビ砂漠は有名だよ。中国では、ゴビ砂漠を、別の固有名詞で呼ぶの?」
「違います。ゴビ砂漠という単語は、日本に留学して初めて知りました。そもそも“ゴビ”とはモンゴル語で、草木も生えない石ころだらけという意味です。だから石ころが砂漠であるはずがない。中国では“ゴビ灘”と呼ぶこともあります。石ころの海という意味です。中国では、岩漠、砂漠、土漠と使い分けしてます」と。
 そういえば中国製の地図のどこにも“ゴビ砂漠”という場所はなかった。英語でいえば、「DESERT」であり、同じことじゃないかと負け惜しみを言ったものの、シルクロードの上空でこの秀才中国青年に一本取られたことだけは認めざるを得ない。
 私は、砂漠の中国的概念を仕入れたついでに、眼下の情景を思いつくままの表現で、ノートに書きつけた。「土漠」=干からびた黒砂糖にココアの粉をまぶした自然の作品。「岩漠」=石ころになる以前の岩のぶっかき氷のようなものもある。「ゴビ」=上空からは双眼鏡がないと見えぬが、強風にあおられて、転げまわるので石は丸くなる……。そこまで書いて、ふと思った。
 日本の国歌の「君が代」の自然観と、シルクロードの荒れ地の生成過程との関係についてだ。「さざれ石の、巌となりて、苔のむすまで……」。新彊ウイグルの砂漠は、順序が逆である。岩が割れて、石になる、石が割れて砂になる。そしてここに古代人が山に沿って道を造った。
 漢の武帝が父祖伝来の宿敵、匈奴を破るために西域の名馬を欲した。そのためにシルクロードが建設された。「天馬来る。西極より」の言い伝えである。静態的で穏やかな人間と自然との調和を歌った君が代とは正反対に、シルクロードの自然との挑戦の物語は、動態的で荒々しい。
 空から見た天山山脈。遠景はワニの背中のウロコに見える。だが近寄ってみると、恐竜、いやゴジラの背中を至近距離で観察しているような錯覚に陥る。トルファンの上空から、機は天山山脈の五千メート級の頂を幾つも越えて、北側に飛ぶ。八千メートの上空を飛ぶのだが、真下に、百頭の恐竜がうずくまっているようにも見える。その背中と背中の間に、土のたまった高原がある。シルクロードは、まさにぎっしりと並んだ恐竜の割れ目を縫って走っている。白い川と白い湖が見える。白いのは雪ではない。水が干上がり、塩がたまったのである。恐竜の背には緑がない。土色がかった灰色である。

「天山は天山ナリ」
 日本の山々なら、どんな頂にも名前がついている。里から徒歩で行けない山はないからだ。山にたどりつくまで一番遠いとされている南アルプスだって、一日も歩けば十分だ。だがこの大いなる天山の連山には、頂上はおろか、地上からは山麓にもたどりつけない山が多い。飛行機に乗ったことのないシルクロードのオアシスの町の住人には、天山の奥深くに、何百もの頂があることさえ知らないだろう。
 視覚の外にあるものは、存在しない。だから、「天山は要するに天山」であり、オアシスから見える幾つかの七千メート級の巨峰しか名前がないのではないか??。
 新彊ウイグルの省都、ウルムチで、そのことをたしかめてみる機会があった。われわれ一行は到着の翌朝、中国人民解放軍のこの自治区の副司令である閻帝厚少将と朝食を共にしたのである。彼は解放軍十数万人を統率し、パキスタン、インド、アフガニスタン、モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンに接する総延長五千四百キロの国境警備の激職にある将軍であった。
「日本人と話をするのは、初めてだ」という彼は「遠来の客だから、朝から新彊のブドウ酒を飲もう」と歓迎してくれた。
 天山、崑崙の天涯の守備は平地の人間の想像を上回る厳しいものであるらしい。「標高四千〜五千メートの駐屯地の酸素は、平地の半分しかない。食事は何を食べてもおいしくない。しかもなかなか眠れないのだ」という。「それに標高三千メート以上の山には植物は何も生えてない。灰色の岩と土だよ」とか。半年に一回、補給のために輸送部隊が山に上がる。そのとき、「娯楽のための慰問団も連れて行く」のだそうだ。
「深山には、地元の人は名前をつけていないのではないのか、山を特定できないと警備ができないのではないか」と水を向けると、彼は、「大変よい質問だ。先生は軍事専門家か?」と応じてきた。「解放軍はすべての山、谷、高原に標高やアルファベットを使って記号をつけてある。ご心配は無用だ」と。やはり、シルクロードの住民にとっては、天山は、どの頂も天山だったのである。
 



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