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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 中央アジアの草原にて(5) 行きは良い良い、帰りは……?  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1999/08/24  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「通りゃんせ…」
 旅は快適なことばかりではない。“渡る世界には鬼もいる”。外国旅行にトラブルはつきものである。私にとって中央アジア行きは二度目であり、今回は、ソウル→タシュケント(ウズベキスタン)→アシュガバード(トルクメニスタン)→タシュケント→バンコクと、飛行機を乗り継いだ。中央アジア旅行で面倒なのは「関所」を通過することであった。税関と、入国管理のシステム、それに役人の質が、お世辞にもいいとは言えないのである。
 一般に草原の遊牧民の文化を継承する民族は、客人に対して親切である。ウズベキスタン、トルクメニスタンに限らず、この地域の人々に旅人として接すると、たとえ言葉は通じなくても「おお、よく来たね」の気持ちがしっかりと伝わってくる。草原の住民であるモンゴル系トルコ民族の先祖たちの精神的文化遺産、すなわち苦労して砂漠を流離った末、訪ねて来た遠来の客人を厚遇する伝統はしっかりと残っているように見受けられる。自分が同じ立場になったときに、どうしてほしいか。それを慮る風習なのだろう。旅人に限らず、同胞同士でも見知らぬ人に、ちょっと道を聞く場合でも、まず握手を求めることから始まる。敵意のないことをあらかじめ示すしぐさだ。
 彼らはそういう流儀で人間を尊重する国家なのである。にもかかわらず、ソ連独立を果たしたこれらの新興国の税関、入管、警察はおしなべて威張りくさっている。“人間の顔”をした行政からはほど遠い。これが同じ民族なのかとわが目を疑った。「個人的にお付き合いしたらどんな人間なのだろう」。「関所」で面倒が起こるたびにそう思った。
 私の中央アジア行きは、「行きは良い良い。帰りは怖い」であった。この種の話は具体的でなくてはなるまい。
 ソウルから一人旅の直行便で七時間、ウズベキスタンの首都タシュケントに着く。タラップのわきにミニバスと大型バスが待機していた。飛行機で一緒だった日本人の格闘技選手数人を、政府の要人らしき人物が出迎えに出ていた。幸か不幸か、私も格闘技のグループと一緒にミニバスに乗せられ、VIP用らしきゲートに連れていかれた。パスポートとビザを見せたら、ろくに見もせずにいぶかる私に対し「PLEASE、PLEASE」。入管では書類の記入なし、税関もフリーパスで通過、「人違いらしい」と気づいたが、時すでに遅し、「関所」の外に出てしまっていたのである。
 後から搬出される機内預けの荷物を受け取るのに一苦労だった。それも何とかこなし、空港を出た。「何と大ざっぱな人々か。それが遊牧民族のカルチャーか」。勝手な推測をまじえて、ちょっぴり儲けものをした気分になっていた。だが、これが後々まで崇ったのである。
 タシュケントのホテルで、先着の日本、韓国、マレーシアの学者グループと合流、二日間、ウズベキスタン教育省相手の仕事をすまし、トルクメニスタンの首都アシュガバードに向かうべく、再びタシュケント空港へ。出国の「関所」の長い列の進行が、私の番で止まってしまったのだ。パスポートに張りつけたビザをしげしげと見つめている。通常、中央アジアの入管の役人は英語は話せない。ロシア語はよくできる。こちらがロシア語を話さないことがわかると、若い入管の係官は無言の行を続けるしかない。
 これではいっこうにラチが明かない。当方はイライラがつのるばかりだが、先方も全く同じ心理状態であるに違いない。五分、いや、もっと短かったのかもしれないが、無言のニラミ合いが続く。制服の肩章に星の三つついた上役が事務所からやってきた。
 ロシア語で長々と何か私に言った。「アシュガバード、アシュガバード」。つまり、「俺はアシュガバードに立ち去るのだ」と。それしか答えようがなかった。三つ星は、若い係官に何か指示した。彼は、ビザに釈然としない表情で「出国のスタンプ」を押し、手まねで「立ち去れ!」の仕草をした。
 私のパスポートのウズベキスタン・ビザには、「出国」のスタンプはあるが、「入国」のスタンプがない。後日、そのことを考えてみた。あの三つ星が私にロシア語で何を説教したのかを。
 
幽霊、ウズベキを出国す
 「お前はウズベキスタン入国の記録がない。それなのに俺の前に現れ、出国しようとする。書類上、おまえは幽霊だ。お化けをこの国から出国させる権限は俺にはないのだ」。きっとそう言ったのだろう。
 大昔の日本の童謡、「通りゃんせ」を彷彿させるハプニングであった。「通れ」というから、通ったばっかりに……。旧社会主義国は、特権階級のルール無視の顔パスと、庶民に対して四角四面の書類を振り回す超官僚主義という両極端が色濃く残っている。この私の小さな旅のトラブルは、その狭間で起こったのだろう。
 今回の「関所」のトラブルは、まだ序の口だった。バンコク経由東京に帰るために、トルクメニスタンのアシュガバードから、タシュケント空港に戻った際、連続して発生したいくつかのトラブルは、面倒を通り越して、喜劇と呼ぶにふさわしい。
 経験1 アシュガバード空港、CIPの出国用税関ゲートで。(「CIP」とは変テコな名前だが、COMMERCIALY IMPORTANT PERSONの略とのこと。ここに案内されると自動的に二十ドルとられる。珍しく英語で副税関長が応対した)
 この土産品は何か。「見てのとおり絨毯である」〈申告書に記入していないではないか〉。「価格は二十ドルの安物であり、国外持ち出しの証明は不必要だと聞いている」〈証明書のことを言っているのではない。申告書に記入洩れである〉。「ああそう。そんないいがかりをつけるのなら、ここに置いていく」〈まあ怒るな。仕方がない。もっていけ〉。旅行の同行者であった韓国人の若い学者のケースだ。
 経験2 午前一時トルクメニスタン航空の機中。一日一便しかない一時間半の夜行便がタシュケント空港に到着。「乗客はまだ立つな」の機内放送。最後尾しか乗降口のないソ連製旅客機の狭い通路を、大男のロシア人パイロットと副操縦士、それにパーサーが、乗客をかき分けて、堂々と降りてしまったのには、あっけにとられた。乗せてやった人が一番偉いのであり、乗せていただいた者たちは、後で勝手に出て行け??。そういう定まりらしい。この航空会社には、サービスという概念は存在していない。
 
ロシアン・ルーレット
 経験3 タシュケント空港で、この日の夕刻出発するバンコク行きウズベキスタン航空には、あと十五時間もある。一同、通過ビザを申請することにした。だが薄暗い入管の二つのゲート付近には、ビザ発給窓口らしきものは見当たらない。入管の役人に聞いても、ロシア語で権限外と言っているらしく、とりつくシマもない。一台の電話機を見つける。「VISA・外務省」とロシア語で書いてある。仲間の一人が半信半疑で受話器をとりあげる。「こちらは外務省の当直員。YES」と眠そうな声で応答があったという。ワラをもつかむ思いで待つこと三十分。当直がやってきた。七人分の通過ビザ発給に一時間もかかり、合計六十ドルを請求された。七人で六十ドルとは、どういう計算なのか。でも、まずはめでたし。
 経験4 この通過ビザでウズベキスタン再入国を試みる。一難去って、また一難。私ともう一人の日本人学者が、入国管理ゲートで引っかかる。係官に英語で「ロシア語を話すか」と聞かれる。「NO」と答えたついでに、こちらも英語で「英語を話すか」と聞き返した、「NO」と言うので、「今、話しているじゃないか」と食い下がる。根負けしたのか、彼は、ポツリポツリと英語で話しだした。彼の主張は、「通過ビザの期限は七十二時間以内だ。それなのに、お前のビザには有効期限一カ月と書いてある。いったいどういうわけなのか」であった。「多分間違いだろう。でもそんなこと、俺にわかるわけないだろう。貴国外務省に聞けよ。ワハハハ」と私。彼もつられて笑いだした。「人を見たら泥棒と思え」を地でいく官僚の鋭い目つきが、一介の市井の人の表情に変わった。そして、「ダー、ダー」と二回言った。
 われわれ、中央アジアツアーの一行は、このころになると「関所」のトラブルに慣れてきた。「これはロシアン・ルーレットだよ。次はだれが捕まるかな」。そんな軽口をたたく余裕も出てきた。仮眠のためのホテルに行く途中、検問で車を止められ、ホテルでは、予約を受けた人間が今いないので宿泊は受け付けられない??といったんは拒否された。でも、われわれ一行はその程度では驚かなくなっていた。ねばりまくった末、ようやく床についたのは、午前四時、「これが外国人をもてなすホスピタリティというものか」。後日、トルクメニスタンの学者にそうぼやいたら、「悪く思わんでくれ、わが同胞は、この七十年間、ソ連人しか外国人という者を知らなかったのだから……」と。
 



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