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一月の下旬から二月の二十一日までの間に、インド、アメリカ、東チモール、と仕事が続いたので、日本の新聞や雑誌をほとんど読めなかったのだけれど、産経新聞の二月十日付けの「アングル」欄に編集委員の牛場昭彦氏が次のような内容の記事を書かれた。 私(曽野)がインドで会ったイエズス会の神父の言葉として「常に一番むずかしい仕事を取ることになっています。そしてうまくいったら人に譲ります」と言ったことを書き、その話の後で、「PKOを出す度に『日本は一番安全な地域を担当できるように申し入れている』と恥ずかしげもなくいう日本政府だか、自衛隊だかに聞かせてやりたい言葉である」と付け加えた。そのことについて牛場氏は次のように書いている。 「政府が『安全だから行く』などという奇弁を“恥ずかしげもなく”弄してきたことは紛れもない事実だ。したがって、国内向けの説明で『危険のない所に行けるよう申し込んでいる』ぐらいのことは言ったかもしれない。 しかし、自衛隊が『安全な地域にやってくれ』と申し入れたようなことは全くない。この文章をそのまま読めば、自衛隊もそんなことを口にしているようになってしまう。 それどころか、危険に対処するための手だてを講じることさえ許されない中で、『身の危険を顧みず』(宣誓)“一番むずかしい仕事”を黙々とこなしているのが自衛官なのだ。 もし、曽野氏が本心から書かれているような目で自衛隊を見ているのなら、それは残念至極だ。『あの曽野さんにして…』と自衛官は悔し涙を流すのではないか」と私に「いたく失望した」ことを書いておられる。 これに対してお答えする義務はあるだろう。政府があのような恥知らずな返答を平気で公表するようなことをした時、自衛隊や警察の最高指揮官は「私たちはそんなことを要求もしませんでしたし、望んでもおりません」となぜ姿勢を正して抗議をしなかったのか、ということなのだ。人間、小さなことはいくらでも笑って譲っておけばいいが、魂の本質に関することに黙っていてはいけない。 募集の時人が集まり易いように、とか、親たちが安心するだろう、とかいう配慮でそんな言葉を許しておくとすれば、それは心理のどこかで政府見解を利用しようとしたと誤解される可能性はあるだろう。世間に迎合した政府の利己主義丸出しの見解を放置し看過すれば、私のように「皮肉」の一つも言いたくなる市民が数人は出ても致し方ないと思う。 誰だって若い人を死なせたくはない。自衛隊、消防、警察、のような命の危険のある仕事に、(いくら不祥事を起こした一部の警察官がいてもなお)尊敬を感じるのは、彼らが自由意志において身の危険を承認しているからなのだ。 私の知らないどこかで自衛隊の幹部が決然と政府見解に反論していたとしたら、それを見落とした私は心からお詫びをしたいと思う。
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