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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: なぜ「食在広州(食は広州にあり)」なのか  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/09/15  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  餃子は「北京」、麻婆豆腐は「四川」
 今回は食べ物の話である。私は昔から「食は広州に在り」という言葉が気にかかっていた。
 この表現を初めて知ったのは、邱永漢氏の同文の題名の随筆集であり、四半世紀も前ではなかったかと思う。それまでは私の大脳に占めていた世界の食文化は、恥ずかしながら「日本料理」「西洋料理」そして「中華料理」というたった三つの概念であった。島国に住む“鎖国人間的”分類法とでも言えようか。
 こういうステレオタイプの食文化観で隣の国を見ると、十二億の人民は、地域の差、風土の差、嗜好の差、貧富の差はあるものの、おおむね同じ食材と調味料と、大同小異の料理法で調理した“ひとつの中華料理”を日々食べていることになる。ラーメンは中華というより、むしろ現代風日本食であることくらいはわかってはいたが、二十五年前の私の中国料理の知識は、そんなものだった。
 だから、私にとって「食在広州論」は、中国料理の差別化であり、ちょっと大ゲサに言わせてもらうなら中国食文化の分類学上の革命をもたらしたといえる。餃子は「北京料理」、麻婆豆腐とザーサイの本場は「四川料理」、淡泊で日本人好みの小エビの素妙め清炒蝦仁、それに高菜ラーメンによく似ている雪菜肉絲麺は「上海料理」。おかげで今では、そのくらいのことはわかる。
 さて、広州である。広州は人口六千五百万人の広東省の首都であり、日本人には「広東料理」といったほうが通りがよい。広州で開かれた中国国際友好連絡会主催の「華人会議」を傍聴すべく現地に出かけた機会に「食在広州」を検証した。広東省は中国大陸の最南部の省で、省都広州は中国の南の玄関、つまり「南大門」とも呼ばれ、唐代には、アラブ人やペルシャ人の居留地がおかれ、“海のシルクロード”の起点であった。香港と密接なつながりをもち、華南経済圏の中心でもある。東西に北回帰線が走っており、夏は高温多湿、冬は暖かい。
 会議に出席した華人たち(中国を祖国にもち、海外の国籍をもつ中国人、世界中に二千万人いる。華僑は、中国籍をもち、海外に居住する中国人のこと)に聞いたら、「食在広州」は、中国にある昔からの言い伝えだと教えてくれた。
 シンガポール国籍の華人三世、顔尚強さんが、「生在蘇州、衣在杭州、食在広州」とメモ帳に書いてくれた。
 「生在蘇州」とは、蘇州(江蘇省)は風光明媚で美人が多いので住むには最適の地、「衣在杭州(浙江省)」は織物の産地なのですばらしい衣服が手に入るとの意味だという。食べるなら広州。それが「食在広州」の意味かと聞いたら、「うまいかどうかは、その人の好みによる。でも、世界各地にあるフランス料理屋と広東料理屋の数は同じだという説もあるほどだから。やはりうまいんだろう」と、福建出身の先祖をもつ顔さんは、あくまでクールである。それよりも「食在広州」のいわんとするところは、食材が世界中で一番豊富な料理であり、かつ「菜単」(メニュー)が多いことだという。

ゲンゴロウも食べる
 勧められて、広州の自由市場に出かける。外国人租界地があった沙面の隣、清平路と梯雲路の交差点がそれだ。
 双方の道路の両側に沿って長さ一キロにわたって「清平農副産品市場」がある。十字の形に道路が交差しているから、総延長で四キロ。おそらく世界最大級の市場だろう。店舗数は千軒近くある。従業員は三千人はいるとのことだ。
 料理の素材の多さに驚く。魚や野菜、きのこ、鳥、香辛料が豊富にあるのは当然としても、ゲテモノがたくさん並んでいるのには度肝を抜かれた。
 蛇、犬、子猫、猿、狸、トカゲ、サソリ、ネズミ。「龍蝨」という名のゲンゴロウまで売っていた。しかも、それは新鮮この上なしだ。全部生きているのだ。広東では「空飛ぶものは飛行機、四つ足では机以外は何でも食べる」と、ものの本で読んだことがあるが、あながち「白髪三千丈」の類の大風呂敷的表現ではないところが驚きだ。蛇は細かい網の目の金属製のカゴの中に入っている。犬や子猫はペットではなく、ここではあくまで食材である。店の裏には水道の蛇口があり、放水しながら、ものの十分もたたずに、そっくり毛皮をむいて渡してくれる。
「ゲテモノこそ美食の極致」とするこの市場の光景、動物愛護協会が見たら卒倒することだろう。ちなみに広東で、「竜虎」といったら、蛇と猫を素材にした料理のことだ。猫は遠慮したが、蛇は試した。
「南海大魚村」。広州では一、二を争う広東料理の店だ。店先にいろいろ並んでいる。
 タスマニア産のロブスター一斤で百元、海蟻(うなぎ)六十五元。一斤は五百グラム。一元は三十円であり決して安くないが、料理代は含まれている。金網の中に「五歩蛇」がトグロを巻いている。これに噛まれたら五歩も歩かぬうちに毒で倒れるという猛烈な奴だ。一斤につき二百九十元。この店では一番高価な素材だ。
 十人ほどの仲間で、それも試してみたのである。前菜の数種の唐辛子を白酒ですきっ腹に流し込むうちに、辛味の刺激が強過ぎたのか胃が痛み出した。臨席で通訳をやってくれた顧文君女史が、気づかって「これ、飲みなさい」と緑色の酒を小さなウイスキーグラスに半分ほど勧めてくれた。緑色は毒蛇の胆汁だという。「毒食わば皿まで」の心境で飲み干したのだが、効果てきめん。ものの一分もしないうちに胃の痛みがおさまったのである。
「なぜ、痛みがウソのように消えたのか」。食卓を囲む中国側参加者の見解は、食物の陰陽説であった。唐辛子は陽、蛇は陰、互いに中和されて痛みが止まったのだというのだ。
「食物には熱性と涼性がある。必ず双方の素材を組み合わせて料理するのが、要諦だ」ともいう。その逆をやると食中毒を起こすそうだ。「日本にも食い合わせというのがある」と私。「そう、それです」と顧さん。
 中国の知識人で、これまた日本語の達人の高原氏が面白いことを言った。
「中国の言い伝えに、よくない取り合わせの話があります。〈青年に紅楼夢を読ませるな、子供に水滸伝を教えるな、年老いたら三国志を読むな〉です。この意味、わかりますか。青年が紅楼夢を読むと女遊びを覚えて退廃的になる。子供と水滸伝のとり合わせは、ケンカ早くなる。年寄りは賢くてずるい。そういう人が三国志を読むと謀略や策略をやって、ますます難しい人間になる。これ、先生の言う“食い合わせ”でしょ」と。
 ディナートーキングとしては、この小話、秀逸の出来ではないか。中国の知識人は頭の回転が速くて、なかなか手強いのである。それならば、こちらからも一問。なぜ「食在広州」なのか。どうして手当たり次第、どんな素材でも食材にしてしまうのか??。その理由、いかに? と問うてみたのだ。およそ世界で広州ほど食べ物の種類が広範囲で、料理法が多様なところはないと思ったからだ。
 食卓でまず優勢だったのは、貧困説である。
 この地は、昔は、せまくて奥まった南方のじめじめした地、つまりユエと呼ばれていた。けれども暑さで死ぬ人はいないから、北の山地から流浪の民がやってきて人口がどんどん増えた。田や畑は限りがあるから人々は、食を求めて何でも食べた??という見解だ。
 北のほうにも西のほうにも貧困地域はあるのに、なぜ、広州だけが? そう切りかえした。この謎をどう解くか。中国側の反論は「確かに北も貧困である。しかし北や西は寒いので、食にすべき素材はない。しかし広州には豊富にある。つまり、そこに食材があるからこそ「食は広州に在り」なのだという。
 だが、食にすべき素材があることは必要条件ではあるが、どうやってそれが食材として開発され、この地に豊かな食文化を築いたのか、その点が釈然としない。この答えは後日、通訳の顧女史がもって来てくれた。広州のもの知りに取材してくれたのだ。

「ウニ」を最初に食べた人
「ウニを一番最初に食べた人は勇気のある人です、ウニだったから命があったが、毒蛇をそのまま食べたら死んでます。この地の権力者たちが、美食の哲学を究めるため、家来たちに試食をさせたのです。ひとつの食材とその料理法を開発するには多くの人が死んだそうです。中国では漢方薬をひとつ開発するのに二百人の人命が失われたという説があります。広州の料理も同じで、何千年もの間にそういう犠牲者の積み重ねがあって、広州の世界に冠たる食文化が形成されたのです」と。
 日本の食文化の特徴は、生の魚としょうゆである。中国人は生ものは食べない。
 魏志倭人伝に「生(なま)物をもって滋味となすを知らず」とある。日本の食文化は自然の恵みであり中国のそれは人為の知恵の集積だと誇り高き広東人たちはいう。だがそういう彼らも、最近、輸入のノルウェー産サーモンの刺し身を中国料理だと称して珍重しているのは、いったいどういうわけか。
 食のグローバリゼーションは、食の都、広州にも着実に押し寄せているとお見受けした。
 



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