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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: いまモンゴル国は? チンギス・ハンの草の国(2)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/10/07  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  馬乳酒と“森英恵”?
 初めてのモンゴルの旅で、最初に覚えたモンゴル語は、「モリ・ハルイ」であった。ほかにもいくつか習ったのだが、結局、記憶に残ったのは、これだけだった。それだけ印象が強かったのである。この言葉は、大草原の遊牧民の住居である組立式円型テント「ゲル」で、トイレに行きたくなったとき、「モンゴル語」ではなんと言うのか、聞き覚えたものだ。その直訳は、「馬を見にいってくる」という意味だ。
 モンゴル国大統領とか、国際モンゴル学会の学者、あるいはモンゴル仏教のラマ僧とか、首都ウランバートルで、ぎっしり詰まった会見のスケジュールをこなして、迎えた快晴の日曜日はフリー。笹川平和財団のモンゴロジスト窪田新一氏(モンゴル語の達人)、その友人で乗馬ツアーの観光と学校法人を営むソエルト氏(日本語の達人)、およびその友人であるモンゴル市警のジャガー警部とともに、トヨタのランドクルーザーで、アスファルト道→泥んこ道→草原とクリークの道なき道を百五十キロもとばした車中で教わったゲルの生活用語である。めざすは日本人ツアーに組みこまれている「観光ゲル」ではなく、本物の牧民の住居であった。
 ご本人には失礼ながら、この言葉を私は「森英恵」(もり・はなえ)と記憶しておいた。何か具体的な連想の対象を作っておかないと、カタ仮名の言葉は覚えられないからだ、それが、私の外国語記憶術だ。
 プレブさん一家を訪れた。ゲルが四つある大家族だ。羊と山羊で千百頭、牛百頭を持つ。モンゴルでは一九九二年の市場経済導入時に、ソ連式集団所有のネグデルを解体し、家畜は個人所有となったが、プレブさんは、かなり裕福な牧民だという。ゲルの入り口は、真南に造ってあり、室内の向かって正面には祭壇がしつらえてあるそこでさまざまな牧民の珍味をごちそうになった。がその話は後述するとして、さっそく「モリ・ハルイ」を試してみたのだ。
 馬乳酒をどんぶり二杯も飲んだ効き目はてきめんだが、ゲルの内部にトイレはない。うまく通じたのである。五歳だという男の子がなにやら言っている。私以外の人々が、どっと笑う。通訳してもらったら「馬なら、外につないであるよ」と言ったのだそうだ。この子には文字どおりの意味しかわからない。アメリカで「バスルームはどこか」と聞いたら、せっけんとバスタオルを運んで来たのと同じ、笑い話なのだ。
 ちなみに女性の場合は何というか。「牝馬の乳をしぼりに行く」、グー・サーヌという表現があるとのことだ。日本では、馬はウマだが、モンゴルでは少なくとも三つの表現がある。アドー(馬一般)、モリ(乗馬用の去勢した牡馬)、グー(乳しぼり用の馬)で、このほかにも言い方があるらしい。さすがは馬の国である。馬を使って、羊を動かすのが遊牧の要諦である。人口二百三十万の国に羊が二千五百万頭もいるのだから。羊の群れをうまくさばけるかどうかは、優秀な乗馬用の馬次第なのだ。
「モンゴル馬はアラブよりちょっと小さいが、丈夫で利口だよ。第二次大戦中、ソ連に軍馬として贈ったが、ドイツ戦線から単独徒歩で帰って来た馬もいた。主人をなくすと生まれ故郷に戻ってくる習性があるのだ」
 ロシアの警察大学卒のジャガー警部はそういう。その昔、チンギス・ハンの武将たちは一人で二十頭もの替え馬を連れて遠征したが、主人の戦死で戻った馬もたくさんあったとか。この国では、人間の次に、「モリ」が偉いのである。
 馬乳酒、馬乳のお茶、ボルツォク(小麦粉で作った菓子、中国の麻花児に似ている)、タルフ(パン)、山羊のレバ焼き、肉汁うどん、発酵バター。ゲルでご馳走になった昼食のメニューである。すべて、ゲルの中心にある鉄製のストーブでお客の目の前で料理する。レバ焼きと肉汁うどんは材料が新鮮である。お客の目の前でつぶした山羊と羊だ。血を一滴も外に出さず、なおかつ家畜を苦しめないように殺す。山羊のレバは、内臓の脂(アミ脂)で包んで塩をまぶし、トロ火で焼く。うどん汁の肉は羊。うどんは小麦粉をねって麺棒でのばし、ナイフできざむ。
 この国で小麦粉がいつごろから使われるようになったのかは定かではないが、小麦はほとんど国内で自給できるという。しかし、小麦で作ったパンや菓子よりも、それに塗って食べたバターの味が圧巻である。遠心分離機にかけて製造したバターとは、一味も二味も違う。牛乳を直径七十センチほどの大ナベにたっぷり入れて、トロ火にかけて(昼夜かきまわして)造る。ナベの上澄みにたまったバター分をさらに、小ナベに入れて温めつつ、ゆっくりかきます。すると豆腐の油揚げの形をした何枚かの黄色の脂肪分がとれる。それが発酵バターだ。塩は入れないが適当な塩味もあり、香りがよい。草原の珍味だ。
 ほとんど自家消費用だが、ひと鍋からとれるバターを千二百トグルク(二ドル)で、ウランバートルの都会人に売ることもあるという。
「自家製のバターは社会主義の時代は五トグルクだった。でもあの時代には三トグルクで、ウランバートルのレストランで食事ができた。今は千五百トグルクもする。一鍋のバターを売っても外食はできないよ。市場経済は牧民にちょっぴり損をもたらした」
 働き者で頭が良いとの評判の、プレブ家のチコさんは苦笑する。
 もっとも「ウランバートルのスーパーで売られているバターはロシア製(一キロ=三千トグルク)で、発酵させたものではない。ホテルの食卓のバターも同じもので、お世辞にもうまいとはいえぬ。なぜ、遊牧の民の食文化である自家製のバターを食べないで、安易な輸入に頼るのか。そこがこの国の市場経済の不思議のひとつだ。
 乳を発酵させる。それはチンギス・ハン以前の草原の先祖たちがあみ出した生活の知恵だ。「トッポン、トッポン文化ですよ」と同行の窪田氏がいう。乳を皮袋に入れて馬の背で長時間、草原を運搬するうちにトッポン、トッポンとほどよく覚拌されて、自然発酵が起こった。それが馬乳酒やバターの起源だ。バターはともかく馬乳酒はすべてのモンゴル人が好んで飲む。色は白く酸味がある。アルコールの度数は二〜三%とか。冬の間、肉ばかり食べて疲れ果てた胃や腸を治すために、夏場には、馬乳酒だけを供する“療養所”もあるとか。
 ゲルの中、ドンブリ酒で話がはずむ。「モリ・ハルイ」。私に片目をつぶってニヤリとしつつ、窪田氏もソエルト氏もジャガー氏も代わる代わる外に出て行った。「この家の馬乳酒は格別にウマイ」。モンゴル通の窪田氏の言である。
 



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