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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: パラオ共和国紀行(2) 南海の虹を追って…  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/01/04  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「ヴェジタリアン」の猛魚
 パラオ島に着いた翌朝、ホテルのPALAU PACIFIC RESORTのモーニングコールを合図にTVを付ける。東京からグアム経由四千キロの太平洋の熱帯だが、時差はない。朝六時のNHKのお早よう番組が鮮明に映る。もはや十月なのだが、「東京の夏はこれで終わりました。大陸から高気圧が張り出し、ようやく東京に秋がやってきた。今朝の気温は十八度、長袖でも肌寒い。日中は二十四度、爽やかな一日でしょう」とこの朝の神宮外苑の画面が大写しで登場した。パラオのTVに切り換える。「本日の天候は晴れ。気温は二十七〜二十九度」と英語できわめて事務的に放送している。昨日までの東京の暑さと同じである。「夏が一週間、伸びたと思え場問題なし」。旅のメモ帳にそう記入しておいた。
 この島はいうまでもなく常夏である。「一年中、気温は二十七度から二十九度だ。だから日本人のように話題にしない。パラオ人は、毎日が暑いとも、寒いとも思ってない」。東京から同行のマサオ・サルバドール・駐日大使に「東京が今週から涼しくなった」といったらそういう答えが返ってきた。四季のない島で、この種のあいさつは、朝の食卓の会話としては、いまひとつしっくりと来ない。
 海で働くパラオ人にとって、天候の関心事は、風と嵐である。シャワーは、午後になるとたいていやってくる。だから雨の話もあまりしないという。この朝は、全くの無風だ。リゾートホテルの渚は、波がなくガラスのようになめらかだった。「この二日間、珍しく日中も風がないんだ。ヨットは駄目だから、クルーザーに乗ろう」。マサオ大使のお勧めである。
 われわれ一行は、パラオ本島(バベルダオブ島)に出かけることにした。首都のあるコロール島とこの島は橋でつながっているのだが、車で二十分も行くと国際空港に突き当たり、そこで道路はお終いになっている。だから、バベルダオブ島の村落に行くには船が唯一の交通手段だ。
 ホテルの桟橋に集合する。「日本軍が建設した飛行艇の基地跡だ。頑丈にできているので、島々の周遊船やダイバーを乗せる船の観光港としてそのまま使われている」とマサオ大使。船を運航する“船宿”があり、元JALの支店長をやっていたという溝上さんが経営している。桟橋から、コバルト色の海の底がはっきりと見える。それだけ水が澄んでいるのだ。
 黄色に縞の魚、青いエンゼルフィッシュ様の魚の群、一見スズキ風の魚。水面の波がゼロなので水族館の水槽を上から見物しているのと同じだ。太いアナゴを頭の部分だけ獰猛な顔に付け替えたような猛魚バラクーダもいる。鋭い歯でかまれたら、指の一本くらい食いちぎられてしまう。
「あとでここで泳ごうと思ったけど、バラクーダがいるんじゃだめだな」と私。「ダイジョウブ」。マサオ大使が片言の日本語で冗談をいった。「パラオのバラクーダは、ヴェジタリアン(菜食主義者)だよ」「人を攻撃しない平和愛好家か? 君の国の“平和憲法”はバラクーダにまで適用されるのかい」「すべての生き物にさ……」。
 
「マサオ大使」のこと
 このマサオ大使、なかなかの会話上手なのである。パラオには、大統領のクニオ・ナカムラ氏をはじめ、日本語の名前をもっている人が多い。日本の統治時代、この国の人口は今よりも六千人も多い二万四千人だった。日本人の植民者が二万人で、チャモロやカナカ族などの原住民が四千人だった。日本人男性に、現地の名門の女性との結婚が奨励されていたとのことで、父は日本人、母を原住民にもつ人が、今でも人口の約一割はいるという。
 マサオ大使は日本人の血は引いていないが、伯父が日系だったという。名字の「サルバドール」は、スペイン統治時代のクリスチャンネームで、この国の植民地史をこの人の姓名が象徴している。マサオ大使は、現地の高校を出て、ハワイ大学に留学、十八年間ハワイに住み、パラオ独立のために、米政府との非公式な折衝にたずさわったこともある。「EMISSARY(使者)か?」と尋ねたら「まあ、そんなものだ」との答えが返ってきた。独立して共和国となったパラオは、米国と日本に大使館を設置し、マサオ氏が初代駐日大使に抜擢されたという。
 この国の安全保障政策は実にうまくできている。人口一万八千人の小国だから、他国を攻撃する能力は、ほとんどゼロだ。そういう国にとって、自国の安全保障について五十年間、米国との契約を結んだのは賢い。小国なればこそできる芸当だ。「日本国憲法」はパラオにのみ有効である。マサオ大使は、それをヴェジタリアンのバラクーダにたとえたのである。
 われわれの行先は、パラオ本島のガラルド州だった。日本のODAで再建された日本統治時代の小学校と、その横に、島民が勤労奉仕でこれまた再建した「高松宮来島記念碑」の除幕式があると聞いた。「イワヤマ(岩山)」と、日本語の名称もついている無数の石灰岩の島々を縫うようにして、クルーザーが走る。
 そもそもが動物である珊瑚礁が何億年もかかって隆起し、石灰岩となり、またその上を土が覆い、トリの糞に含まれた植物のタネが繁茂して、たくさんの緑の小島ができたのだという。大きいものでテニスコートくらい、小さいものは、庭の築山ほどの大きさで、椰子の木が二、三本生えている。まさに海の箱庭の景観だ。「松島や、ああ松島や……」のスケールの大きい南海版と思えばよい。
 
ガラルド州という名の村
 ガラルド州の桟橋に着く。州といっても、人口五百人の村落だった。この共和国は、人口八千人のコロール島を除くと、すべて数百人単位の小さな州で構成されている。小なりといえどもそれぞれに、州知事と上下両院議員とそしてチーフ(首長)がいる。パラオに古来からある首長制度とアメリカから輸入した州制度の組み合わせである。パラオに限らずミクロネシア社会の特徴は母系相続であり、村の有力家系の女性が首長を選ぶ。首長は一代限りで、カネと土地の支配権をもつが、死亡すると高位の女性に権限が返還される。米国によって近代的行政機構が導入されたのちも、こうした伝統的首長制度の慣習は根強く残っている。首長の地位と役割は、共和国憲法で保証されている。
 この州の首長は、ギラロイス・イデプという六十代の人物であった。「彼の役割は行政と立法については助言者にすぎないが、伝統的慣習や日常生活については行政府より大きな権威をもっている」。マサオ大使の解説だ。三塚博・日本・パラオ議員連盟会長の来島を機に、「高松宮碑」(昭和十六年建立)の再建記念式典が行われた。四十代の州知事が式典のホストを務めた。パラオ語と英語を交互に使ってあいさつする。この世代のパラオ人はおしなべて英語が上手である。
 そのなかで「私の今日あるのは、ここにおられる首長のおかげ」「首長なくして、知事の存在はない」というセリフが飛び出した。ゴマスリではなく、行政が首長を立てるのが、この国の生活慣習なのだろう。
 イデプ首長は片言の日本語を話す。「日本の観光客よ、われらの州にもっと来てくれ。紫外線は沖縄の七倍もあり、アトピーは、すぐ治る。海亀やイルカと砂浜で遊びながら……」という意味のことを言った。この国の自然は豊かである。豊かな自然のなかで、時計がゆっくりと動いている。
 三百十四の島(このうち有人が九島)をもち、領海は本島を中心に半径二十一キロ、漁業水域は半径二千六百キロ。魚あり、貝あり、珊瑚礁あり。燐鉱山、銅山もあり。米国の財政援助つきとはいえ一人当たり国民所得は八千ドル。伝統的自給経済と貨幣経済の二重構造で営まれるこの国の経済にとっては、決して低い所得水準ではない。考えようによっては、この小さな共和国は世界一豊かな「村落国家」なのではないか。
 シャコ貝とマングローブガニのぶつ切りとタロイモのごった煮である「ガラード・スープ」を御馳走になる。珍味であった。今年はマングローブガニがとくに豊漁だという。「水温の関係だ」と知事がいう。「エルニーニョ(神の子)のせいか」と問うと、「その女性名詞だよ」とマサオ大使がいう。ラニーナ(神の娘)現象の恵みとのことだ。
 この国の知識人は、昔の宗主国の言葉であるスペイン語の初歩の心得もあるものとお見受けした。コロールヘの帰り船は、いくつもの虹の懸け橋を追いつつ航行した。南海にシャワーがやって来たのである。
 



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