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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: スロバキア共和国雑学(上) 我「ジプシー」を発見?せり  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/02/03  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  “思わぬ”光景
 チェコのプラハやオーストリアのウィーンを知る日本人は多い。だが、歴史や文化で華やかな響きをもつこの二つの欧州の古都から、それほど遠くないブラスチラバを首都にもつスロバキアまで足を延ばす旅行者はあまりいないだろう。そういう私も、この国の大統領とNGO団体の人々と会談する用件のおかげで、一九九三年一月チェコから分離した政治の単位としては新しい国、スロバキア共和国を訪れる機会に恵まれたのである。
「欧州のど真ん中に、隣接するチェコとスロバキア在り。幼少の時代は孤児の兄弟の如く、隔れて育ちたるも、成人して同居せり。双方とも千年以上の歴史をもちスラブの血を分かち、文化的、宗教的にも共通性多し。しかし一つ屋根の下に暮らすには性格の不一致点多く結局、別棟にそれぞれ居住することになれり」。往路、乗り継ぎのフランクフルト空港の売店で求めた『LONELY PLANET・TRAVEL・KIT・CZECH&SLOVAK』(地球一人旅・チェコとスロバキア編)の冒頭にそう書かれていた。「特にバックパッカー(パックのグループではない個人旅行者のこと)には、観光資源の未開発国なればこそ思わぬ光景に遭遇し魅惑的な旅になること必定」ともある。
 この国に入るにはウィーンから、車で行くのが一番近い。空港から一時間半、国境のドナウ川の長い橋を渡ると、もうそこが首都ブラスチラバだ。川のほとりの高い丘に町のシンボルブラスチラバ城がそびえている。十二世紀に建てられた要塞である。冷戦中はチェコ・スロバキアはソ連の属国で隣のオーストリアは、「鉄のカーテン」の彼方だった。
 現地のNGOの代表、ヤナ女史に聞くと、あの暗い時代、城の頂上からハングライダーで、ドナウ川上空を飛びオーストリアに亡命を試みた人が何人もいたとのことだ。自由を求めて命を賭けたのである。国境警備兵に撃墜された人も多かったという。「成功率? わからない。そんな統計があるわけないでしょ」と彼女はいう。そのかわり、チェコのプラハには車で六時間、自由に往復できた。「だって当たり前でしょ。同じ国家だったんだから。国境の検問はなかった」。彼女はスロバキア、チェコ、ロシアの三カ国語に英語と日本語が話せる。
 私たち一行(ヤナ女史、文化人類学者堀武昭氏、笹川平和財団木幡研究員)がブラスチラバ入りしたのは、プラハからであった。いまは国境となった国道の小さな村に、入管と税関がある。チェコから、トラックやバンが行列する。中古のベンツもある。ドイツで購入した車の運び屋である。ヤナ女史が「代理手続き」をしてくれた。星四つつけた国境警備の隊長が、小屋から出て来て、一人パスポートの写真と見比べ首実験をしつつ、「ビザにサインしてくれ」と英語でいった。
 ビザ発給と通関に一時間。トイレに行ったら番人のおばさんが、指を三本出して「サン・コルナ、サン・コルナ」と絶叫する。有料トイレの使用料が「3・KORNA」だといっているのだ。めったに来ない日本人の一人が、「3はサン」だと教えたのだろう。スロバキア領に入ると、景色がぐっと田舎風になる。ときは一九九七年九月。麦とじゃがいもの穫り入れが終わったばかりの、畑作地帯が果てしなく展開する。奇妙な光景に遭遇した。収穫物が残っていないはずの畑の土を二〜三十人の集団が、素手で土を掘り返していたのだ。
「アッ。ロマですよ」。文化人類学者の堀氏がいう。他人の畑の掘り残しの小さなジャガイモを拾い集めているのだ。ロマ、つまりジプシーである。私にとってジプシーの集団とは、これが初の遭遇であった。この国の人口は五百三十万人、うちジプシーが三十五万人。スロバキア人は背が高く、色白で、目は灰色。ジプシーの身長は日本人並み、肌は浅黒く、黒髪、黒いヒトミなので一目でわかる。
 例の『地球一人旅』の索引で、ジプシーの項を探してみた。「旅人はこの国のジプシーに対する人種差別に驚くことだろう。ささいな犯罪は、すべてジプシーに罪がなすりつけられる。もし、あなたが浅黒く、黒目なら軽度の差別を受けるかも……」と記されている。
 ジプシー。極東の島国、日本にとってそれはこの地球上で最も遠く、ほとんど未知の存在であろう。車中、文化人類学者堀氏と宿舎のダニューブ・ホテルに着くまで密度の濃いジプシー問答を展開した。ジプシーはさまよえる人々である。千年前、インド北部から遊牧の人々が大移動を開始した。ジプシーは差別用語だというので、最近は「ROMA」と呼ばれる。
 堀説によると「ロマとルーマニアとは関係がない。もともとサンスクリット語のDOMBAにちなんで命名された。遊牧のかたわら歌ったり楽器を奏でたりするヒンドゥー教の四つのカーストの最下層のそのまた下に扱われている人々で、インドにも現存する」という。
 欧州居住のロマは八百万人、魚の骨状に展開しており、とくに中欧は多い。ほとんどが文盲で職がなく、家もない。スロバキア政府が隔離のためのアパートを建設したら、窓や間仕切りをすべて破壊して、自分流の放浪民の生活をしているという。刑務所住まいも多い。
 入国の翌日、中部スロバキアの都市バンスカ近郊の刑務所見学の日程が組まれていた。受刑者の社会復帰に従事するボランティアのオフィスが、塀の内側のそのまた内の鉄格子の中にある。
“刑務所ボランティア”の印象的な言葉を紹介しておこう。
「ジプシーの価値観の基準は、TOBE GOODではなくて、TOBE SMARTであることです(善であるより、せこく立ち回れ)。それが私の最大の悩みです」
 ジプシー受刑者の半数は、再犯で戻ってくるという。
 



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