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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: いまモンゴル国は? チンギス・ハンの草の国(5)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/11/18  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「遊牧文化的」市場経済
 四日間のモンゴルの旅で、ひとつ心残りがある。星空を見ることができなかったのだ。
 モンゴル行きの準備に司馬遼太郎氏の『街道をゆく』シリーズ、「モンゴル紀行」を読んでおいた。その中に「星の草原」という章がある。「うかつに物をいえば、星にとどいて声が星からはね返ってきそうなほど天が近かった」「夏のあらゆる星座が、われわれにいどみかかるようにして出ている」。氏のそういう叙述にひかれたのである。
 東京に空がなくなってから久しい。子供のころ見た夜空を彩る、点ではなく面になっている星をモンゴルで見られるのではないかと思ったのだ。だが、駄目だった。私の滞在したウランバートルの夏は、夜になると雲が出る。時折雨も降る。
「今年の三月、モンゴルで皆既日蝕があり、日本からも大勢の観光客が繰り出したんだけど、やはり駄目。その日に限り曇りでした。ウ、ッフフ」
 同行のモンゴル学者の窪田新一氏は、慰め顔を装いつつ、含み笑いを洩らした。当地の日本大使館の広野参事官(窪田氏の東京外語大蒙古語科の先輩)がこう続けた。
「モンゴルという国はね、日本人の好きな“平均という概念”で見ると間違える。気候だってそうです」
 当地のある大商社の駐在員が、本社から視察にやってきたお偉方に、お天気のことでこっぴどく叱られたそうな。前もってその月の平均気温を知らせたところ、背広とコートの重装備でやってきた。到着の日のウランバートルはカンカン照り。半袖でも暑い真夏日だった。お偉方はご機嫌を損ねプンプンだった。だが翌日は氷雨。コートを羽織ってもまだ寒かったという。
「もともとウランバートルで、満天の星空を見ようと思うのが無理なんです。大都会だから。ゴビの砂漢なら話は別だが……」
 次の次の大統領候補とウワサされる若い政治学者のバトバヤルさんはそう言う。
 チンギス・ハンの時代、モンゴルには都市の文化はなかった。遊牧民は都をもたない。もともと都市なるものは農耕文化の産物である。農業生産の余剰が都市造りを可能にした。遊牧の民はよぶんなものを生産しない。だから都市はなかった。
「モンゴルに大都会が発生したのは、社会主義になってから。コメコンの分業体制の一環として国の産業化が行われ、都市化が急速に進んだ。過去三十年間、旧ソ連の融資で新しい産業都市が生まれ、いまでは人口の六割が都市生活をおくっている」と彼は言う。たしかにモンゴルにはチンギス・ハンの草の国の文化が継承されてはいるが、金太郎アメのようにこの国のどこを切っても、昼は馬と羊、夜は星空といった平均的な画像が出てくるわけではなかったのだ。
 草原のゲルを訪ねた話は、この紀行文の(2)で紹介ずみだ。そのとき、一行に十歳の女の子がいた。道案内と運転をボランティアでやってくれたジャガー警部の娘さんだが、草原に深く入るにつれて、彼女はクシャミを連発、涙と鼻水でつらそうだった。
 風邪をひいているのではない。「この子は健康だ。われわれの世代はなんともないのだが、ウランバートルの子は草原に来るとこういう症状が出る。アレルギーだ」と父親。日本流にいえば都会の文化病、花粉症である。
 社会主義の産業化が、この国にもたらした遺産のリストに花粉症まであったとは……。
 いま、この国は社会主義の負の遺産を清算しつつ、市場経済を進めている。一九九四年にはいちはやくIMFの八条国に移行、貿易、資本の自由化を断行した。日本が八条国に移行したのは、戦後、十数年を経過してからであったことを考慮に入れると、それこそ清水の舞台から飛び下りる決断だったに違いない。
 だが、この国の市場化への道はかなりけわしい。社会主義的思考の負の遺産もさることながら、チンギス・ハン的遊牧民文化と、経済学の教科書に書かれているような単純なアングロ・サクソン的市場経済論とが、なかなかうまく噛み合わないのだ。
 例えば、この国の一人当たりGDPの数値である。四百ドルという数字がある。マクロ経済統計も税制も整備されていない国で、どうやってGDPが算出できるのか? 実感からして、もっと大きいのではないか。西洋の開発経済学者にうるさくつきまとわれて、とりあえず発表した数字ではなかったのか。
 そんな思いを、ガンボルト(経済委員長)、ガンバータル(予算委員長)、バトバヤル(前出の若い政治学者とは別人)、バトウールの四人の有力国会議員にぶつけてみた。
問 国会議員の月給は八十ドルと聞いたが、そんな給料で生活できるのか。
答 私(国会議員の一人)の妻は、英語の翻訳で、私の四、五倍の収入を得ている。この国は一族のうちだれかが、非公式経済の世界で稼いでいるのだ。その規模はGDPの二倍以上あるのではないか。そんな話より、石油が発見され採掘が開始された。埋蔵量は十億バーレル(二百億ドル相当分)、中国経由極東ロシアにパイプラインを敷くのだが、日本はこれに投資しないのか?
問 パイプラインが完成したら、日本が石油を購入することだけは保証できる。あなた方は本当にチンギス・ハンの末裔だ。遊牧文化は馬上から世界を見おろすのが特徴ではないのか。農耕や物造りなど面倒なことはみんな人にやらせようとする。
答 チンギス・ハンを褒めてくれて有難う。たしかに彼は偉大だった。でも馬上で他民族を指図するのを可能にしたのは、強大な武力が背景にあったからだ。だが、いまのモンゴルには核兵器も強大な軍事力もない。だから、われわれ自身が農耕文化の国民と同じように手を真っ黒にして、生産に直接たずさわらなければならぬ。それが、モンゴル国市場経済化の要諦だ。
 確かにお説のとおり。だが、バター、皮革、水、野莱など、この国で当然自給して然るべきものをおおらかに輸入している。この国は偉大な資源国だからである。鋼、石油、それに金も有望である。だから、製造業への動機が少ない。いま、金鉱開発がブームである。チンギス・ハン流に他国人にやらせて上納金を吸い上げる。帰路、米国の地質学者と隣り合わせになった。「要するにあなた方は、チンギス・ハンのECONOMIC MERCENARY(経済的傭兵)」と言ったら、ただちに「言い得て妙」との反応があり、彼はさっそく手帳にこの言葉を書きつけた。
 



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