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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: イタリア辛口紀行(2) ローマで神と哲学を語る  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/07/10  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ “行方不明”の中世ローマ ≫

 キリスト教にご縁の薄い日本国の世界史の教科書。これを読むとローマの中世が「行方不明」なのだ。紀元五世紀、西ローマ帝国の傭兵隊長、ゲルマン人のオドアケルの反乱で、古代ローマの皇帝が退位させられ、西ローマ帝国は滅亡する。以来、千年もの間、「ローマ」という単語はない。十四世紀のルネッサンス(芸術・思想の再生運動)の章で、突如として「ローマ」という単語が復活する。

 この種の歴史教科書を真面目に学習した人ほど、芸術と歴史の博物館であるローマ見物をすると、頭が混乱する。

 戦後、間もなくローマ観光をした日本の新興成金が、古代ローマの遺跡、コロシアム(円形ドーム競技場)の前で、「イタリアの戦後復興いまだし」と述懐した??という話がある。

 こういう豪傑は論外としても、数ある観光名所巡りも古代ローマのものなのか、中世ローマ以降の文化遺産なのか区別がつかない。「とにかくローマは素敵」で終わってしまう人が多い。どう素敵だったのか??それを味わうのが、海外旅行の醍醐味というものではないのか。

 かく言う私も、もし“あの学者”に会わなかったら、大同小異のローマ見物だったかも知れない。話はちょっとさかのぼる。昨年、ポーランドの中世の代表的都市クラクフにあるヤゲロニア大学で歴史学の教授と話をしたのだ。「専攻は中世ローマ史だ」と彼は言った。「エッ。ローマに語るべき中世があったの」。思わず私はそう口走った。“その学者”は泰然自若。「日本人ならそう思うのは当然だ。だって欧州人にもよくそう言われてからかわれるんだから……」と答えた。

 ローマには中世があったんだ??私にとっての発見だった。ローマの中世とは何ぞや。「長い話を短くすればね。たしかに五世紀に古代西ローマ帝国は滅んだ。しかしローマ司教が、ローマ教皇としての権威をここで固めたんだ。そして、紆余曲折はあったけど西ヨーロッパキリスト教圏の精神的首都としての地位を築いていった。それが中世ローマだ。“紆余曲折”の研究が私のテーマではあるけど、これだけは覚えておいてほしい。中世ローマのキリスト教文化なかりせば、ルネッサンスも、今日のローマも存在しない」。“あの学者”のこのひと言が、今回のイタリア紀行にどれほど役に立ったことか。

 ローマ観光各所の一つ、トレビの泉と目と鼻の先のグレゴリア大学を訪問した。これが今回のローマ行きの主な目的だった。一五五一年、カトリック教団、イエズス会によって設立された名門大学だが、ローマ中世史を少々かじったおかげなのか、カトリックもローマ法王庁もいささかの違和感もなし。相手の歴史を知ることが、私の異文化交流の“平気術”だ。

 歴代卒業生には、グレゴリオ15世からヨハネパウロ1世まで十六人の法皇と二十人の聖人が、名を連らねていた。この大学に「現代哲学論」の講座を日本財団は寄付している。どんな哲学をどう論じているのか、事業評論に出向いたのだ。

 前学長のジュゼッペ・ピタオさん(元上智大学学長)と現学長のフラメンコ・イモダさんが迎えてくれた。「哲学の話をなさりにいらっしゃると聞いてました。哲学博士の神父二人を準備してます。私の名前は、Potato Field(芋田)です」。「上智大学の第二校舎をローマにご寄贈いただき感謝してます(本当はローマの第二校舎が日本にあるのだが)」とピタオさん。この人たちは会話がうまい。カトリックの布教、千数百年の厚みと経験がそうさせているのだろう。

 

≪ 「聖者と世俗」のレストランで ≫

 近所に昼食に連れていかれる。「聖者と世俗(Sacro e Profano)」という名の元教会の建物を利用したレストランであった。「世俗」の私が、「聖者」の神父たちに囲まれていると思うと、なにやらこそばゆい。パイプオルガンや祭壇、壁画もローマ中世そのままの姿で残っている。気を引き締めてズバリ質問にとりかかる。言語は、日本語、英語、そして日本?イタリア語通訳の三つのチャンネルの交互使用である。国際交流が面倒なゆえんだ。

 私「ピタオさん。へーゲル以後の哲学をこの大学はやってますね。その中には、マルクスもニーチェもいます。どうして神を否定する哲学をカトリックの大学で勉強するのですか」。

 ピタオ「三つ理由がある。汝の敵を知ること。間違った思想でも、なぜそれが世間で高く評価されるのかを知ること。彼らの思想が全部悪いわけじゃなく、その優れた知的構造を知ることです」。在日三十四年、彼の日本語は、簡にして要を得ている。ついでに聞いてみた。

「バチカンは共産党ともうまくやってますね。なぜですか?」。「少なくとも正面衝突したことはない。教会がないと共産党員であることもできない。それがイタリア文化だ。つまり共産党も本質的にはカトリシズムなのだ。もし彼らが非人間的になったら、その分だけ教会の価値が上がる」。彼は、即答した。

「Why?Why?は、哲学の始まりだ」。ドイツ人とベルギー人の哲学教授神父が、英語でそう言いつつ、応戦してきた。「ニーチェをなぜ研究するかとあなたは言った。“神は死んだ”と主張する彼の哲学が有名だからではない。立派な詩人だからだ。それに異なる宗教や無神論の人々との対話に役に立つではないか。現代文化は、信仰と理性の関係について、さまざまな反対意見がある」と。「そうですか。それなら聞くが、神が人間を創ったのではなく、人間が神を創ったのではないのか」と二の矢を放った。答えを待った。

「へーゲル左派のフォイエルバッハがそう言っている。神を容認するプラトンやデカルトに反対する彼の哲学もきちんと教えている。信仰とは別の観点の哲学の存在も認めているからだ。私は一冊の本を書いた。神を信ずるとは、哲学的にはどういう意味かについてだ。英訳が出たら送ってあげる」

 神学の世界では、タブーに属するきわどい質問を、怒るどころか、「あなたのWhy?Why?は、とてもよい態度だ」と世俗のオッサン、つまり私を軽くいなしてきたではないか。このカトリック神学のしたたかさ、危うく土俵を割るところだった。

 それなら認識論について、一問。気を取り直して、かねてから用意したパズルを進呈した。

「我惟う故に我在りはデカルト。我惟わざる故に我無しは、だれの哲学か?」と。

「オッホッホッホ。面白いパズルだ。答えはペシミズムの哲学者、ショーペンハウエルだよ。彼は言う。人間は生への盲目的意思をもつ。その意思はたえず他の意思によって阻まれる。そして生は苦となる。この苦を免れるには意思の滅却しかないと。だから我惟わざる故に我無しなのさ。我惟わざる(I don’t think)を、我欲せざる(I don’t want)に入れかえると東洋の哲学になる。仏教の諦観だね」。ただちに答えが返ってさた。

 

≪ 「汝、パンテオンを見よ!」 ≫

 この日の昼食のメニューは、魚のスープ。魚とトマトのサラダ。ナスと太刀魚のソテー。それにスパゲティ。世俗的評価からいっても、四つ星クラスの味である。聖なる神父さんたちは、よく食い、よく飲む。三時間も私の仕事、すなわちバチカンのアカデミニズムの牙城での哲学の他流試合に付き合ってくれたが、白ワインが四本空になった。「ローマの観光はしたのか。ぜひパンテオンを見学しなさい。あの建物には哲学がある」

 ベルギー人の哲学教授神父が熱心に勧めてくれた。食事中の哲学問答の答えのひとつがそこにあるというのだ。

 パンテオンに出かけてみる。紀元前に建設された「万神殿」だ。PANはすべて、THEONは神の意で、ローマ帝国がキリスト教を国教とする以前のローマ人の信仰の象徴である。内部の丸天井の頂上に直径九メートルの円形の穴がある。

 そして床面には、地中に通ずる小さな穴があいていた。「合理と非合理の世界の区分はどこにあるのか」との私の問いに、「パンテオンの空間を見よ」と教えてくれた現場だ。

 床下が人間の経験界、ドーム内部が合理の世界、天上が超合理、つまり神の世界だ。それぞれの穴を通じて、人間は経験界と神の世界と連結しつつ、現世という合理的世界で生活しているというのだ。

 なるほど、建物にも哲学があるものだ??と納得する。キリスト教の彫像や祭壇が建物内部にごてごてとはめこまれていたが、すべてローマ中世以降の工事とのこと。中世キリスト教が、パンテオンを教会に転用したからである。

 パンテオンに限らず、古代ローマの遺跡の上に、中世ローマが重ね餅になっているところが多い。テベレ川の洪水除けに、中世以降大規模な土盛り工事も行われた。

 ローマ市内の土を五メートルも掘ると古代ローマが出現すると聞いた。中世抜きのローマの姿を見学する「地下散歩」のツアーもある。ローマ観光のリピーターへのお勧めである。
 



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