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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: オランダの「苦労人間」と「助平人間」  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/01/新春特別号  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  世紀末に修好四百年
 私の仕事は、「日本財団」の海外担当なので、少なくとも年に一ダース以上は海外に旅に出る。旅の必携の品は、米国のコンプトン・コンサイス百科事典である。ソニーのディスクマンに一枚の電子ブックを入れておけばそれで事足りる。成田→アムステルダムのJAL便の機中のつれづれに「オランダ」を検索してみる。
 残念ながら「オランダ」(HOLLAND)という項目はこの事典にはない。「検索不能」のサインが出てくる。この国の名称はオランダではなくネーデルランドなのだ。「NETHERLANDS」とキーをたたいたら「ネーデルランドとはそもそも“低い土地”という意味で、北海に面したその土地に十一の州があり、歴史上主要な州は南北ホランドの二州であったところから、通称オランダと呼ばれる」と画面に出て来た。日本語のオランダは、戦国時代日本に来ていたポルトガル人が、HOLLANDをポルトガル語読みした(Hの音は発音しない)発音に由来する。
 ロッテルダムで、池田維大使と旧知の丸尾公使と交した会話を紹介しよう。オランダと日本は歴史上緑が近かった。江戸時代と第二次大戦中である。だから、当地での大使の仕事は二つあるものとお見受けした。前向きで楽しい仕事と後向きで面倒な仕事である。
 日本?オランダの二国間関係は経済、政治、安保の面ではWTOあるいはEUとかNAT0についてはそもそも欧州対日本の話であって、日米関係のように二国間でまなじりを決してケンカするようなテーマはまずない。この国にあるフィリップ白熱電球会社(世界的に有名な家電ブランド、松下、ソニーと世界市場で闘争中)を除けば……。あとは二国間関係はもっぱらオランダ?日本の“ご縁”の話なのである。
 池田大使はいう。「西暦二〇〇〇年は日本?オランダ修好四百年にあたる。東京駅の八重洲口の由来を知ってますか」と。オランダ人が、万里の波濤を乗り越えて日本にやってきたのは西暦一六〇〇年、慶長五年の春である。東洋に派遣した五隻のうちデ・リーフデ(慈悲)号のみが、たどりついたのであった。商人海洋国家としては、オランダは日本の大先輩であり、その英雄的気概は、とうていわが日本民族も及ばない。さて八重洲由来である。
 この船にウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンという二人の士官が乗っていたそうな。前者はオランダに雇われた英人の航海士で「三浦按針」である。ヨーステンも航海士だがオランダ人であり、按針より上席であったという。二人とも家康の貿易と外交の相談役となり幕臣に列せられた。当時はまだ鎖国をしていなかったので、按針とヨーステンは江戸の一等地に屋敷をもらった。按針の名は高校生でも知っている。だが、波の上司のヨーステンの日本での知名度は高くない。家康の朱印状をもって今のベトナムに出かけ、日本への帰途、嵐にあって死んだという。ヨーステンは、江戸では「八重洲」と呼ばれていたそうで、彼の屋敷の所在地が、東京駅の丸の内の反対側にあったところから、八重洲の地名が生まれたという。「昔は、ヤン・ヨーステンの碑が八重洲口にあったそうですが、今はどうなったのかわからない」。池田大使は残念そうにいう、日蘭文化交流史の中での有名人は、前述の按針とシーボルトだが、二人とも非オランダ人。だから池田大使は四百年祭には、オランダ人の先覚者ヨーステンの碑の復刻を願っているふしがある。
 両国の歴史上、いやなご縁といえば第二次大戦中、オランダ植民地であったインドネシアでの“負の遺産”である。日本との交戦で捕虜となったオランダの元軍人や抑留された民間人でつくる「対日道義賠償請求財団」を作り、代表者八人が東京地裁に一人当たり二万二千ドルの補償請求の訴訟を起こしている。この財団の会員は七万六千人おり、元従軍慰安婦のオランダ人女性も含まれている。これまでドイツのオランダでの破壊行為の被害者の補償が、同国の戦後処理問題だったが、ドイツが片付いたので、にわかに浮上したのだという。
 旅は、旅行案内書のように、観光と食事とショッピングだけではない。現地で、いろいろ知的な刺激を受けるのも、旅の面白さのひとつである。知的興味といえば、私は若いころからこの国に、気になる地名が二つあるのを知っていた。日本語流に読むと「苦労人間」と「助平人間」である。もちろん偶然の一致なのだが、一度はその地を訪ねてみたいとは思っていた。
 英語のうまいオランダ人運転手と、デン・ハーグからそう遠くない小さな美しい港町で魚料理を食べた。オランダ人の英語力は、アイスランドと並んで抜群である。欧州人の第一外国語をモノにする比率は二五%だが、オランダ人は七〇%だという。
 そこで彼に聞いてみた。「日本語の発音でね。ポルノやのぞき好きの男(PEEPING TOM)を意味する地名が、貴国にある。その発音は、スケベニンゲンというのだ」と。その男は何度も私に発音させたあげく、突然笑い転げた、「それはここです」というのだ、彼の書いたオランダ誘の綴りはSCHEVENINGEN。あえて片仮名でその発音を書くと「シュヘーヘニンヘン」に近い。この話には続編がある。その翌日、ホテルの売店でアングロ・サクソンの書いた『THE UNDUTCHABLE』という愉快な本を見つけたのだ。副題は「ネーデルランドの観察・その文化と住民」である。ページをめくったらなんと、「スケベニンゲン」と「クロウニンゲン」があるではないか。
 アングロ・サクソンや外国人にとって一番発音の難しいオランダ語は、子音では「CH」と「G」、それと「E」「A」の母音だそうで、この二つの地名を正確に発音できる外国人はまずいないそうだ。そこで第二次大戦中、この国の陸軍の諜報機関では、真正オランダ人かどうかをテストするために、この二つの地名を言わせたそうだ。日本人に気になる地名を、別の意味ではあるがアングロ・サクソンも気にしていたとは……。だから旅はしてみるものだ。
 「コック」「メス」「お産婆」はオランダ語が日本語に転じたものだが、このほかにもこの国と日本とは共通点がある。そのひとつが、彼らは魚を生で食べる。タル漬けのニシンを生でトライしたが実にうまい。頭と骨とヒレをとったニシンを、タマネギのミジン切りにまぶして、指でシッポをつかみ、上を向いて、パクリとやるのである。ビールがうまい。

うたかわ・れいぞう
日本財団常務理事(国際担当)。昭和九年生まれ。元毎日新聞記者。ワシントン特派員。経済部長、取締役編集局長ののち、六十三年退社。中曽根康弘・元首相の世界平和研究所設立に加わり、同研究所理事・主席研究員。平成七年から現職。
 



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