共通ヘッダを読みとばす

日本財団 図書館

日本財団

Topアーカイブざいだん模様著者別記事数 > ざいだん模様情報
著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 一九九七年・ハノイの秋(下) ベトナム麺は世界最高なり?  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/01/新春特別号  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  「PHO」おじさん
 ハノイの街を歩くと、「PHO」と「COM」「BIA」の文字がやたらに目につく。いずれも大衆食堂の看板なのだが、このうち「PHO」だけは、そこが何を供する店かは、十数年も前から知っていた。私が年に一回は必ず訪れるワシントンから、ポトマック川の橋を渡った隣の町、バージニア州のロスリンという住宅地に「PHO75」という店があるからだ。
 その店は、ベトナム式のラーメン屋である。
 牛骨をじっくり煮込んでつくったダシ汁に、牛のスジ肉や軟骨らしきものが、これまたよく煮込み、スライスして、具に使われている。それにほとんどレアのロースの薄切りが、舌がやけどしそうなスープに浮かんでいる。これに香菜、モヤシ、そしてきざんだ青唐がらしを自分で加えてたべるのだ。麺の原料は米の粉だ。
 このアメリカのベトナム・ヌードル屋は、超繁忙である。一杯四・九〇ドルで、大盛りは五・五〇ドルだったと記憶している。ワシントン・ポスト紙の「ウマイ店百選」の大衆食堂部門で毎年、特賞に入選している。だから「PHO」の看板は、ラーメン屋であることだけはわかっていた。
 だが、PHOがベトナム語では、“フォー”と発音し、麺を意味する普通名詞であることは、ハノイで初めて知ったのだ。あのワシントンの「PHO75」店の意味は、一九七五年のサイゴン陥落の年、米国に移住したベトナム人が、新天地で開いたラーメン屋である??と、ようやく納得がいったのだ。ベトナム人は、家屋とか店舗に竣工した年号をきざむ習慣があると聞いた。
 宿泊したハノイのホテルの斜め前にも、PHOの看板があった。ハノイは、現地の人はまず泊まらない合弁ホテルや、外国資本のオフイスビルと、粗末な昔ながらの家が雑居する街である。この店は古ぼけたガレージを利用したもので、店先が簡易調理場だ。石油コンロでスープの釜を沸騰させる。あらかじめボイルしておいたフォーの玉を、ドンブリに注いだスープに入れ、これに牛肉や香菜の具を盛りつけると一丁上がり。午前六時からやっている。おばさんと小学生の娘の二人の店だが、朝から繁盛している。
 通勤途上の労働者に交ざって、中学生や小学生のお客がいる。ベトナムは共働きの家庭が多いので、朝食を外でとる人が多いという。朝から子供のお客がいるのにはビックリだったが、定まった店の主人に話をつけて、通学途上の子供に何がしかの現金をもたせるのだという。
 ハノイの“ベトナム・ラーメン”は格安である。一杯三千ドン、この国の都会のサラリーマンの月給が七十万ドンだから、現地人にとっても決して高くはない。日本円にすると、たったの三十円、これは円=ドンの為替レートのなせる業なのだが、あまりに安いので、あちらの人々に対してある種のうしろめたささえ感ずる。
 ベトナムの食材はおしなべて安い(とくに日本円に換算すると)。露店や市場を回って調べたのだが、牛肉=四百円、豚肉=百五十円、魚=二百五十〜三百円、野菜=二十円(とくにザオ・モツと呼ばれるセリのいため物は絶品である)、コメ=二十五円、トウフ=三十円といったところだ。いずれも一キロのお値段である。ガソリンは一リットル=四十円、ニョクマム(魚醤)一リットル=百円。卵と缶ビールは意外に割高で、それぞれ一個=十円、一缶=七十円だった。
 ベトナム料理は、中国料理とタイ料理との混血だとの説があるが、それは表面的観察で、この民族の食文化固有の味がある。
 中国料理のように油っこくなく、おしなべて塩味は薄味にできており、必要に応じて魚醤をかけたり、茶色の塩(甲状腺疾病予防のため沃度が入っている)を加える。そのあたりが日本人の舌と食習慣にぴったりとくる。また、辛味は使うがタイ料理のように激辛ではなく、砂糖をほとんど使っていないところがよろしい。特に、バンコクで、ラーメンに大量の砂糖をかけたタイ人を見て肝をつぶした経験をもつ、砂糖嫌いの私にとっては……。
 冒頭に紹介した三つの食堂の看板の、あとの二つ、「COM」はコメ、「BIA」はビールだ。今回のハノイ訪問の仕事仲間の一人である東大医学部の教授U氏と、好んで、ベトナム風大衆食堂に出かけた。U氏は、白いアゴヒゲをはやしており、ホー・チミン・元首席にちよっとばかり似ている。この人、「ベトナム麺は世界最高の味ナリ」とかで、毎朝「PHO」屋さんに通いつめていた。そこで「HO」をもじって「PHO」おじさんのニックネームを献上した。
 日本人仲間数人と、ベトナム人通訳のチンさんを交えて、「PHO」「COM」「BIA」三点セットのある屋台で地元産のビールと一リットル六十円のカエ・メイ・ゴン(コメで造った密造酒)を汲みかわしたときのこと。このアダ名の由来をおひろめしたら、チンさんが突然、笑い出したのである。HOとPHOのギャグに感心したのではなかった。
「ワッハッハ、U先生。あなた毎日、ガールフレンド食べているのネ」と笑いころげたのである。ベトナムでは、妻をVO、愛人をMOというが、陰語では、妻をCOM、愛人をPHOというのだそうだ。ベトナムでのCOM=PHO戦争は壮烈なもので、妻がハサミをもって愛人を襲撃する図柄が、ハノイの国立美術館に展示されていた。
 屋台でハノイの秋の夜長を過ごす。十六夜の月が頭上に。その昔、唐の玄宗皇帝に寵愛され、安南の節度使(ハノイ駐在県知事)に派遣された阿倍仲麻呂の愛でた月と同じ月である。だが、仲麻呂がそのころ、「PHO」を食したかどうか。それは議論百出、結論は出なかった。
 



日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION
Copyright(C)The Nippon Foundation