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一月末に、再ぴインドを訪問する機会があった。 インド南部のケララ州のムンドゴッドという田舎町に、私が働いている小さなNGO(海外邦人宣教者活動援助後援会)が「ロヨラ・スクール」という七年制の学校と寄宿舎半棟、日本財団が寄宿舎二棟半を建てたのを見に行ったのである。それぞれ半棟とはなんだ、といわれそうだが、こういうことは何でも正確に報告しておいた方がいい。私たちのささやかなNGOが一棟建てるべくお金を送っていたのだが、現場が屋根をもっと安全にしたい、ということで設計変更をした。当然お金が少し足りなくなった。その頃、日本財団が申請を認可していた三棟の寄宿舎の建設費用の中から、屋根の分だけ削ってそちらに足したのだという。 だから寄宿舎はきちんと建って定員オーバーなくらいに使われているのだが、私は現場で暗くなるまで、イエズス会の神父たちと話し合った。 「足りないなら足りない、と私たちのNGOの方に言ってきてください。NGOがなんとかします。同じ日本からの寄付だと言っていっしょくたにしてはいけません。日本の税制というのは実に厳しいのです。総理大臣だって牢屋に叩き込めるくらいなのですから」 とさんざん説明し、オドシたのである。 しかし上智大学を経営しているイエズス会の神父たちは、ほんとうは実によく仕事をしている。ケララ州は、ケラ(椰子)が多いところで、豊かで、基本的な教育もかなり行き渡っている。しかしイエズス会が力を入れているのは、いわゆるヒンドゥのカスト制度の外に置かれた部族の人たちの教育である。 インドの階級性のすさまじさは日本人の想像を絶している。通常ヒンドゥ社会には四つの階級の下に不可触賎民と呼ばれている人たちがいる、と書物には書いてある。もちろん法的にはそんな区別はないのだが、外部の者から見ると、年と共に差別はいっそう激しくなっているような印象さえある。 しかし不可触賎民でさえ、それはヒンドゥの階級制度の中に組み込まれている状態なので、外の部族は、ヒンドゥ社会の外に完全に放り出されている。 神父たちが日本のお金で学校と寄宿舎を作ると、次第次第に、生徒の学力も上がり、評判も良くなる。すると周辺に住む一般ヒンドゥの子供たちも入りたがるのではありませんか、と私が尋ねると、神父の一人が言った。 「そういうことは決してしません。この学校は将来も貧しい部族の子供たちのものです」 それからこうも付け加えた。 「イエズス会は、常に一番むずかしい仕事を取ることになっています。そしてもしうまく行ったらそれを人に譲ります」 PKOを出す度に、「日本は一番安全な地域を担当できるように申し入れている」と恥ずかしげもなくいう日本政府だか、自衛隊だかに聞かせてやりたい言葉である。
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