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著者: 山田 吉彦  
記事タイトル: 海賊は「海の民」  
コラム名: マラッカ海峡の町から 第4回  
出版物名: 海上の友  
出版社名: (財)日本海事広報協会  
発行日: 2001/06/21  
※この記事は、著者と日本海事広報協会の許諾を得て転載したものです。
日本海事広報協会に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど日本海事広報協会の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 海で生きるために独自のルールを作り船舶に遵守させた ≫

 マラッカ海峡とシンガポール海峡の結節点フィリップ・チャンネル。この海域は、古くから海賊の温床として船乗りたちに恐れられている。海峡を通過し、朝方シンガポールに入港しようとする船舶は、東雲の頃この海域を通過する。

 朝もやの立ち込めた海面には、無数の島々が濃緑に浮かび上がる。目を凝らすと、数え切れないほどの小型船が漁をしている。「まるで瀬戸内海みたいだ」??コンテナ船に乗り、初めてこの海域を通った時の私の印象である。

 二〇〇一年三月、作家の白石一郎氏が「歴史上の海賊とマラッカ海賊」というテーマで講演を行った。ご存知の方も多いと思うが、同氏は海洋文学の大家であリ、村上水軍や松浦党などわが国の海賊が登場する小説を数多く手がけている。

 講演のなかで、マラッカ海峡は瀬戸内海をはじめとした日本の沿岸部と地理的条件がよく似ておリ、そこで生きる人々の暮らしにも似ているところがあると話した。とくに村上水軍とマラッカ海賊の類似点に言及している。ともに海で生まれ、生涯を海で生きる「海の民」なのである。

 日本史における海賊の多くは、海の領主という性格を持つ。貴族や大名たちが、地上に領地を持ち支配したのと同じように、海賊たちは海の上にその覇権を持ち、領海支配を行った。日本史に登場する代表的な海賊を簡単に紹介してみよう。

 海賊領主の第一号は、九三九年、瀬戸内海の海賊たちを束ね、摂関政治に叛旗を翻した藤原純友であろう。瀬戸内海に展開したクーデターは、京の都で雅やかに暮らす為政者たちを震憾させた。

 戦国末期、村上武吉は村上水軍を組織し、瀬戸内海に君臨した。卓越した海軍力を持ち、海域内の海上交通を一手に支配するとともに、中国地方で争う戦国大名のキャスティングボードを握っていた。村上氏は、瀬戸内海を所領とした「海の大名」と呼ぶことができるだろう。

 九州西北部を地盤とした松浦党は、鎌倉時代から明治維新まで、八○○年の長きにわたりその権威を保ち、海外貿易の利権を手中に収めていた。鎌倉・室町期の松浦党は、一種の共和制を取っていた。入リ江ごとに散在している海賊の首領が集まり、合議制により海賊活動の方針を決めていた。党首は、くじ引きにより選ばれた。

 紀伊半島を発洋の地とする九鬼水軍は、伊勢地方の準越した造船技術を支配下に納め、織田・豊臣政権の海軍として一世を風靡した。無敵艦隊村上水軍を打破した織田の綱鉄船や戦国時代最大の戦艦「日本丸」を九鬼水軍は擁していた。日本における海賊衆は、徳川幕府の鎖国を中心とした海洋政策によリ、歴史の表舞台から消えて行った。

 七世紀から十四世紀にかけてマラッカ海峡はシュリーヴィジャヤ国(三仏斉国)の影響下にあった。この国は、スマトラ島のパレンバンを中心としてインドネシア・マラッカ海域とその沿岸を治めていた。

 シュリーヴィジャヤ国は、海域を通過する船を強制的に支配下の港に入港させ税を徴収していた。もし無断で、海域を通航しようとする商船があれば、軍船を出し武力で屈服させていた。

 まさに村上水軍が瀬戸内海でとっていた海上政策と同じ方法である。村上水軍の財源は、瀬戸内海を航行する船舶から徴収する通航税「帆別銭」であった。

 もし、「帆別銭」を支払わない商船があれば、容赦なく攻め殺戮を行った。それが、村上水軍の海上管理政策の根幹である。「海の民」は、海で生きてゆくために独自のルールを作り、海域を通過する船舶に遵守させていた。

 今のマラッカ海賊たちも、独自のルールを作り自分たちの「海領」を主張しているようだ。

 しかし、現代の国際社会では、彼らだけのルールは通用しない。「海の民」に新しい生きる道を指し示さなければならない。今、マラッカ海峡利用の恩恵を受ける私たちは、その新しき道を一緒に考えなければならない。それが、マラッカ海映の安全を守るための新しい国際協力であろう。
 



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