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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 「インド」びっくり紀行(5) アユルヴェーダ(生命の学問)を体験する  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/05/30  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  オイル・マッサージ
 二泊三日の短いデリー滞在の最後の日、アユルヴェーダの治療院に出かけた。ニューデリー空港で全日空成田行の便をつかまえるには、空港までの車の混雑や、面倒な出国手続を考慮に入れても、三時間ほどの余裕があった。デリーの“空白の三時間”をどう有意義にすごすか??。現地で偶然、雇った若くて優秀なガイド兼通訳のRaj君に相談したのである。
「アユルヴェーダ行きませんか。僕のお母さんリューマチです。一回三千ルピー(日本円で九千円・彼の一カ月の給料)で高いです。だから、僕と兄が観光ガイドでおカネためて二カ月に一回だけ、クリニックに連れていく。とてもよく効きます。お母さん喜ぶ。だから僕も嬉しい」と言うのだ。
 そういえば、ホテルの部屋に備えつけの観光案内に、異様な図柄のカラー写真があった。マンゴーとおぼしき木材を浅く丸太船状に繰り抜いた硬そうなベッドに、日本流にいえば小さな越中フンドシ状の布の外は、一糸まとわぬ男が、仰向けに寝かされている。四人の白衣を着た男がベッドの両側に二人づつ、油ようの液体をたらしつつ、素手でマッサージをやっている。監督者風の男が、白衣の四人に何やら指示を与えている。室内には薬品のビンの棚があり、その横にヒンドゥー教の神様らしき木像が飾ってある。窓のない密室の異様な光景である。
「アユルヴェーダとはホテルの写真にあったあの事か」と質したら「そうだ」と言う。「ヨガみたいなものか」とさらに質したらやはり「そうだ」と言う。カースト制の最高位、バラモン階級に属するRaj君は、ヒンドゥー哲学に関する話ならなんでもござれで、よどみなく答えてくれる。
「Avurvrdaとは、Ayus(気)とVeda(学問)の二つの言葉を合体したもので、ヨガの医学部門と思って下さい。西洋医学のように身体の患部を単なる物質としてではなく、魂、心、感情、意識の相互作用によって病が起こり、物質である肉体に患部を作り出す。人の目からみて明らかな物質的変化のみに目を向ける西洋医学の足らざる分を補なうインド特有の医学だ」
 彼の英語によるややこしい解説を短くするとアユルヴェーダの定義は、こんなところに落ち着くらしい。「電話をしたら空いているから、どうぞと言ってます」とRaj君。ちと、いかがわしい気もしないではなかったが、結局体験することにした。
 そのアユルヴェーダ・クリニックは、ニューデリーの高級住宅地の一角にあった。ニューデリーの地価は高く、この付近の家はどれも一億円はするとのことだ。「医学博士、○○女史。若返りと痛みを癒やすアユルヴェーダ式、マッサージ」の看板がかかっている。中年の医学博士女史とRaj君となにやらヒンドゥー語で会話したのち、彼女は「How Nice」とか言ってニッコリした。一瞬ぎょっとしたが、私を話題にしたのではなく、Raj君の母親の容態がこのクリニックのマッサージで快方に向かっていると聞いて、喜びを顔に現したのだという。私には「関節のかすかな痛みはないか。背中、首、肩の下、ヒザの下に鋭い痛みが走ることはないの。関節が固くなったり、四肢が弱くなったような感じはないか」と聞いた。「そう。ないの。もしあったら、関節炎、通風、中風の前兆だけど、何もないとしても、ここのハーブ・オイルのマッサージは、健康増進の特効薬よ」とのご詫宣だった。
 前金で一万二千円を支払う(Raj君の言った金額より高い。でも外国人、もしくは非ヒンズー教徒は高いかも知れぬ、と納得することにした)。八畳間ほどの、ハーブとスパイスの臭いのたちこめる部屋に案内される。服を脱いで素っ裸になり、あとはホテルの部屋にあった観光案内のカラー写真と同じ光景が展開される。まずベッドに腰掛ける。目隠しをされ、頭に人肌よりちょっと温かい油をふんだんに垂れ流し、毛根と頭皮をマッサージする。ヤシ油かゴマ油にハーブを混ぜ、(時にはショウガとかコショウも少し混ぜる)百六十度に熱した液体が、アユルヴェーダのオイル・マッサージの原料である。これが約十五分。
 目隠し(油が目に入らないようにする為だった)をはずし、次は油で黒光りした固い木製のベッドに、仰向けに寝かされ、ベッドサイドの計四人の男が、油を流しつつ、時計廻りに、弱過ぎず、強過ぎず、ひとつひとつの筋肉の断片を丹念に、もむようにさするのだ。油、とりわけ、ハーブ入りのヤシ油とゴマ油は、身体組織への浸透力が強く、体内の毒素を分解する作用があるとのことだ。
 
「ひれ伏しなさい」??
 時折りなにやら熱いヌカ袋様のもので、全身をマッサージする。米ヌカとミルクを混ぜた粥状の液体をタオルで包んだもので、発汗をうながし、ハーブ油で分解された毒素を外に出しているのだという。こうして毒素を除去すれば、人体に備わった自然の治癒力が、身体の機能を活性させる。これが、アユルヴェーダの医学のひとつ、オイル・マッサージによる身体浄化の仕組みだった。
 Prone on the bed.マンゴー材の丸太船風ベッドの中で、うたた寝していたら、突然声をかけられる。インド人の英語は難解であり、文語体で表現が大ゲサである。What's Prone?(プローンとは何ぞや)と聞いたら、Lie on your face.(うつ伏せになって下さい)と言い直した。〈初めからそう言ってくれよな〉。私の知っているProneという英単語は、「ひれ伏す」という意味であり、このまま裸でベッドに這いつくばって、ヒンドゥー教の儀礼でもやらされたら、どうしようと、冷や汗をかいた。インド人の英語の問題もさることながら、ヨガの医学の神秘性にあてられ、私自身がおっかなびっくりの心理状態であったことは否めなかった。
 だが、何の事はなかった。うつ伏せのあと、左と右に横向きの姿勢をとり、同じ施療を繰り返すこと一時間半、すべてが終了した。「どうでした」とRaj君。「心臓の中に、五体に次ぐ六番目の体が入っており、そこに宿る魂と身体の細部とのチャンネルが、施療によってつながったはずです」と、彼はつけ加えた。「科学でその合理性を証明するとなると困るけど、アユルヴエーダでは、そういうことになってます」とRaj君が言った。この種の話は、信じた方が効き目がある。そういわれると、身体中の毒素が排出され、四肢も含めて軽くなったようではある。頭も確かにすっきりした。それよりも、やたらに腹がへってきた。足どりも軽くなった。
「我れ惟う故に我あり」。つまり“自分が認知できるもののみが存在する”というデカルトの認識論から出発したのが、合理的西洋医学であろう。同じ論法で、ヨガの医学を論じたらどうなるか。「我れ惟わざる故に我あり」(自分の目に見える範囲の外にも、自分は存在する)。これが、ヒンドゥー哲学の“心の宇宙”ではないだろうか。「私のインドで考えたこと」のひとつである。
 
「0」と「無限」の発見者
「およそ人類が考えてくれたこと。あるいは世界にある様々な発想法の原型は、インドの哲学書や宗教書のどこかにある」。帰国後、私のインド記をサカナに酒を汲みかわした相手である宗教学者、中沢新一さんの言葉である。そういえば、「0」(ゼロ)を発見したのもインド人だった。「無限」という概念もインド人である。双方とも、インド人の宗教観、宇宙観の産物なのだ。
 ヒンドゥーの哲学によれば、宇宙には始まりも終りもない。「神が宇宙と人間をつくった」というユダヤ教、イスラム教、キリスト教という一神教三兄弟の神話は、確かにわかり易いが、なんとなくウサンくさい。その点ヒンドゥー教の説くところは、わかり難いが、その半面自然体であるようにも思える。ヒンドゥーの神は無数に存在する。北インドで発生したべーダの哲学が、土着の様々なアニミズム(Aminism霊魂信仰)やシャーマニズム(原始宗教)を吸収しつつ南下したからだ。アニミズムから出発した日本の神道に八百八の神がいるのと似ている。一神教の信者にとって「無数に神が存ることは、神は無い」に等しい。そこで彼らが言う。「インドには神は存在しない」(Gods is nowhere in India)と。だが、ヒンドゥー教徒に言わせると「だから神は今インドにいる」(Gods is now here in India)となる。この英語の語呂合わせ、インド人の作だ。ユーモアあり、含蓄もあり、ではないか。
 この辺で「私の駆け足インド記」を終らせていただく。「旅人よ。あなたが、好きであれ、嫌いであれ、この国を無視することはできんよ。帰国便の飛行機の中で、インドに旅して本当によかったと思える人は少ない。でも、ほとんどの人が一年もすると、また行きたくなる不思議な国。それがインドである」英国発行の世界的旅行案内書、『Lonely Planet』(地球一人歩き)にはそう書いてあった。一度、インドに旅したたいていの日本人は「もう一度訪問したい」と言う。それだけ、インドという国は広くて奥が深い。インドに淫してしまうのであろう。
 



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