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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: モンゴル再訪(下) カシミアの幻想曲  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる  
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/06/12  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ≪ 「内蒙古」と「外蒙古」 ≫

 北京から鉄道でモンゴル国の首都、ウランバートルに出かけると三十三時間かかるが、飛行機だと二時間である。短い時間だったが、中国民航のボーイング737の窓際の席に陣取り、眼下の景色の変化を眺めつつ、二つのモンゴルのことを考えたのである。つまり、内蒙古と外蒙古の違いについてだ。

 北京空港から五分も北上すると万里の長城の外側に燕山が見える。大昔、北京を燕京といったが、その名の由来の山である。燕山をやり過ごすと、陰山山脈が眼下に展開する。「よく見てください。こんな険しい不毛の山を、モンゴル族は馬で越えて北京を目指したんですよ。あの頃のモンゴル族にとって万里の長城なんか、目じゃなかったんでしょう。十三世紀モンゴル族の長、フビライは、豊かな文化と品物を目指して陰山山脈を越えて北京を占領、元を建国した」。同行のモンゴロジスト窪田新一さんが感慨深げにそう述懐した。

 その頃は、蒙古はもちろん「内」も「外」もなくすべてがモンゴル族の支配地域だった。モンゴルに、内外の二つの区別が出来たのは、漢民族の王朝、明が元を打ち破り、モンゴルが群雄割拠の分裂時代に入ってからだ。不毛の山の連山を越えると内蒙古、すなわち中国領の内モンゴル自治区だ。標高六百メートルの高原である。人口二千百万、人口の七五%は漢民族であり、中国文化圏だ。清朝の時代に中国の支配下におかれた内モンゴルは、中国共産党の指導で、草原の農地化政策が急速に進められた。

 九千メートルの上空から見た内モンゴル。砂漠化した農地の跡らしきものがある。

「棄てられた村です。草原に人工の地下水路と井戸を掘り、黄河の伏流水を使って畑を作った。だが二十年もやっているうちに水が枯れ、草原も畑も砂漠になってしまった」と窪田氏。中国第二の大河、黄河は内モンゴルの草原を経て南下し華北平原を流れて黄海に注ぐ。全長五千四百キロ。その黄河の水量が極端に減り、乾期には河口まで水が流れなくなった。それはこの、内モンゴルの大規模農業開発による灌概のせいだという。農作物は牧草の何十倍もの水を食うからだ。毎年、神奈川県一県分の草原が消えている。あと数十年で、北京は砂漠化する??と憂慮されている。

「草原情歌」なる歌が日本でも流行ったことがあるが、あれは内モンゴルの民謡をアレンジした曲だ。でもいまや、草原情歌の抒情は消えつつある。「内モンゴルの少数派であるモンゴル族は、遊牧はもはや死んだと嘆いている」。機中で聞いた窪田学者の解説だ。草原の抒情を体験したければ、中国とは別天地の外蒙古に出かけるしかない。そう思って北京から、モンゴル国を目指したのであった。

 首都ウランバートルは、標高千三百メートル、内モンゴル国境の北、九百キロ、シベリアのタイガ(針葉樹林帯)の南限に位置している。早春のウランバートルは、川面の氷が割れ、山の雪解け水が勢いよく流れていた。

 

≪ 一頭の山羊からセーターが一着 ≫

 ウランバートルの特産品は、草原の住人である山羊のウブ毛で編んだカシミアである。三日間のモンゴル滞在中、市の郊外にある「ゴビ・カシミア会社」の工場を訪れた。案内役は、ダワジャルガル外務省書記官だ。信州大の繊維学部に留学経験のあるダワ君は、この工場に課長として三年勤務したことがある。一頭の山羊からセーターとスカート一着に当たる三百グラムのカシミアの原毛が獲れる。モンゴルの山羊は一千万頭で、年間三千トンの原毛が生産される。

「これをセーターやマフラーにしたら、一千万枚以上の製品は固いね。仮に一着、五千円で輸出すると五百億円になる。人口二百六十万人のモンゴル国にとって、凄い輸出産業だね」。洗毛、選別、染色、織機、縫製の流れ作業の工程を見学したあと、走り書きした私の皮算用のメモをダワ君に見せた。

「ウン、その数字は多分合ってると思う。でもあまり儲かってない。カシミアの原毛を中国(内モンゴル自治区)の業者に高値で買われてしまう。だからモンゴルに十カ所あるカシミア加工工場は高い原毛をたくさん買えないので操業率がすごく低い。モンゴル国としては、原毛で売るより、製品で売った方が何倍も得なのにね」。たしかに工場は閑散としていた。日本のODAで建設したこの年産一千万トンの加工処理能力のあるモンゴル最大の工場の機械の大半は動いていなかった。

「どうして、内モンゴルのカシミア会社に、草原の貴重な宝を持っていかれてしまうの」

「それは市場経済の仕組みがそうなっているからです。社会主義時代はネグデルという協同組合で山羊の原毛を固定価格で一手に買い付けていた。市場経済になってから、牧民は一人ひとりが家畜の真のご主人様になった。でも遊牧民は、もともと個人主義者で、国の経済のことなんか考えてない。だから高い値をつけてくれる中国に原毛を売ってしまう。物は高値の方に流れる。それ市場原理というものでしょう」

 それでもまだ疑問が一つ残った。なぜ中国がこの国の工場のコスト計算では、とうてい手の出ないような高値で原毛を買いつけることが可能なのか??である。

「ウーン。中国は、高い原毛を使って質の良いカシミアを製造して、さらに高い値段で世界市場に売る力があるからじゃないの……」。ダワ君ももうひとつ釈然としない様子だった。この疑問を解く手がかりを与えてくれたのは、東京外語大の先生から外交官に転じたモンゴル専門家、花田駐モンゴル国大使だった。彼はある状況証拠を教えてくれた。「そのあたりが、ブラックボックスなんですけどね。その問題を解く鍵は、中国の内モンゴル産の野菜の対モンゴル輸出ではないかと思うんです」と。

 モンゴル国は、食肉をのぞくと食料品を含む生活物資の多くは、輸入に頼っている。とくに国産の野菜は不足している。試みにウランバートル市内の日用品マーケットに出かけてみた。食料品や日用雑貨品は豊富に並んでいたが、輸入品が多い。ついでにお値段の方は、中国産ジャガイモ一キロ、二百五十トグルク(二十五円)、タマゴ一個百三十トグルク(十三円)、ネギ一束五百トグルク(五十円)、キムチ一キロ、二千百五十トグルク(二百十五円)。公務員の月給が六万トグルク(六千円)だから、決して安くはない。ちなみになぜ、ウランバートルにキムチがあるのかをダワ君に質したら、モンゴルには韓国への出稼ぎ労働の経験者が一万二千人もいるから、「野菜と唐がらしは輸入でも原産地はウランバートル市内です」と。



≪ 「野菜でカシミアを釣る」中国商法 ≫

 話を本題に戻そう。花田大使は、中国がカシミア原料を高値で買い付けることができるのは、モンゴルヘの野菜輸出の超過利益を、原毛買い付け資金に回しているふしがあるというのだ。内蒙古の対モンゴル国への野菜の輸出価格は、国内価格の三倍だという。それでもモンゴル国にとっては国産野菜の半値の安さだ。

 この儲けをカシミア原毛の輸入補助金に充て、せっせと高値で原毛を買い付ける。かくてモンゴルのカシミア工場は閑古鳥が鳴く。中国は、砂漠化の犠牲を払って生産した野菜で、草原の山羊のうぶ毛を仕入れ、世界各国に高値で販売する。この商売の勝ち負けは、中国側に軍配が上がる。

 この国の六五%を占める成吉思汗直系と称するハルハ部族という名の遊牧騎馬民族は、商才では漢民族の軍門に降ったかたちだ。「零細な牧民は中国人に来年の原毛を担保に借金漬けになっている。刈り取りのシーズンが来るとまず前借りした借金を返済しなけれぱならない。これでは誇り高き成吉思汗の子孫も内蒙古の借金奴隷に成り下がった」という愚痴も現地で聞いた。

 モンゴル国は一九九〇年、市場主義経済への移行で農業協同組合(ネグデル)を解散、農牧畜部門を完全に民営化した。だが、アメリカの経済学教科書の理屈をそのまま取り入れた“絵に書いたような市場化”が、この国の人々の生活を豊かにしたか??。昨今では異論が多いのである。市場化がもたらした“カシミア立国”の願望は、裏目に出た。あれは、「カシミア幻想曲」であったのかも知れない。唐突な市場化が仇となりこの国で失業者が急増、貧富の差が年々拡大、国民の二五%は、この国の最低生活水準の基準を満たしていないという。ゴビ・カシミア工場に観光客用の製品の直売場があった。帰りがけにセーター(六千円)とマフラー(三千円)を記念に求めた。かなりよい買い物だと思ったのだが、帰国してから「品質、染色、デザインともに中国産に劣る」。知人のアパレル業者のご託宣であった。「モンゴル人は気の毒です。中国は資金力にものをいわせて、ヨーロッパの専属デザイナーを何人も雇い、世界のカシミア市場を制覇しつつある」と彼。この国の市場化を計画した人たちは、成吉思汗の仇をよもやカシミアで、取られるとは夢にも思っていなかったのだろう。
 



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