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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: コペンハーゲンの二泊 橋を渡って“人魚姫”詣で  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2001/03/13  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  タクシーで見つけた珊瑚礁
 国境のその橋はまさしく「アクアライン」だった。「東京湾ではない。いま、スウェーデンからデンマークまで、俺は海峡橋を車で向かっているのだ」
 そう言い聞かせないと、川崎から房総半島に出かけているような錯覚に陥ってしまう。ここに限らず欧米のどこに行っても高速道路や橋のたたずまいは日本のそれとほとんど変わらない。建築工学的には同じ仕様で設計されているからなのだろう。
 国境を通過しているのに税関も入国管理のパスポート検査もない。スウェーデン南端の港湾都市マルメから、デンマークの首都コペンハーゲンに向かっているはずだが、日本の瀬戸大橋を渡っているような気になる。
 こんな奇妙な心理を今回の旅で味わうことができたのは、ケガの功名、いやいくつかの勘違いが重なったからだった。私の周遊航空券の綴りに、マルメーコペンハーゲン間のヘリコプターの切符が入っていたのが、そもそもの手違いの始まりだった。
 マルメ中央駅から、ヘリポートに向かうべくタクシーに乗ろうとして、「そんな場所は知らん」と乗車拒否に合う。けげんな面持ちの私に「コペンハーゲンに行くなら連れてくよ」と運転手が言うではないか。
「二カ月前に橋が出来たんだ。観光客はマルメ中央駅から新しい鉄橋を電車で行く人が多いけどね。でも景色は車の方がいいよ。前も後ろも横も見えるから……」
 ともかくタクシーの客になったのである。ストックホルム駅でマルメ行き特急列車に乗る前に一冊の旅行案内書を求めた。「Lonely Planet」(地球一人歩き)の「Scandinavia」編の最新版だ。だが「スカンジナビアのタクシーは高い。相乗りならともかく、避けた方がよい。バス、列車、地下鉄に乗れ」と書いてあるだけで、この海峡連絡橋「オレスンド・リンク」開通については一行も触れられていなかった。
 多分、ヘリの切符を手配した東京の旅行代理店も、橋の開通の情報がまだコンピュータに入っていなかったのだろう。「ヘリで行く奴なんてよほどの物好きしかいないよ」と英語を話すスウェーデン人運転手に笑われたのである。
 海外の旅、とりわけ一人旅は、この種の行き違いや、思い込みが付きものである。「それが旅の面白さというものだ」。なんて言うといささか負け惜しみっぽくなる。
 だが、それなりの収穫はあった。この北の海で珊瑚礁を発見したのだ。南の海の大珊瑚礁ほど立派なものではないが、バルト海と北海をつなぐ海峡のひとつであるオレスンドの海の浅瀬に萌え黄色の小さな岩礁が見えた。「あれはCoral leaf〜」と事もなげに運転手が言う。ふと思った。「こんなに北極圏に近いところになぜ珊瑚が……」と。だが、よく考えてみると不思議ではない。はるばるメキシコ湾から暖流が、北大西洋をアメリカ東海岸沿いに北上したのち右折、終着点であるバルト海に流れ込んでいるからなのだ。暖流に運ばれてきたサンゴ虫が、北の海で細々と生き長らえ浅瀬に景観を造った。太陽光のせいか、車の進行につれて、淡いコバルトやピンク色にも見える。橋の反対側には、複線の鉄道橋が平行して走っている。そういえばスウェーデン特急の終着駅マルメ中央駅で「COPENHAGEN」行きの電車が停車していた。「何かの間違いだろう。電車が対岸に行くわけはない」と勝手に思い込んでいたのだ。でも、電車ルートを選択していたら、多分、この自然の傑作に気付かなかったかも知れない。日本では沖縄まで行かないと珊瑚はない。瀬戸大橋や、アクアラインとは一味違う北限の珊瑚礁見物だった。
 帰国後、新聞のバックナンバーを調べたら「スウェーデンとデンマーク。二つの都市は氷河期時代にそうであったように七千年ぶりに地続きに。オレスンド・リンク開通、二〇〇〇年七月一日」とあった。
 記事によれば、海峡の全長は十六キロ。スウェーデン側から七・八キロが海をまたぐ橋で、海峡中央に人工島を造り、ここから四キロトンネルをくぐりコペンハーゲンに至る“陸続き”のルートだという。二つの都市は三十分で結ばれたとある。
 
通訳不要のS・D人たち
 だが、私の実体験では、コペンハーゲンのダウンタウンまで一時間以上かかったのである。ヘリをあきらめ、タクシーに乗り換えたとき、運転手と値段の交渉をした。日本円で一万二千円見当だった。「随分高いじゃないか」と驚く私に「よその国まで行くのだから、そのくらいはかかるよ。現金がなければクレジットカードもOKだ」とのたまわったのだ。
 新聞記事にある“人工島”らしきところからデンマーク領に入り長いトンネルをくぐる。
「ところで、ミスター。行き先はコペンハーゲン国際空港でいいな?」と運転手。「冗談じゃない。俺は日本に帰るんじゃない。コペンハーゲンのホテルで開かれる会議に出席するんだ。ダウンタウンまで行けと言ったろ」と私。「この雲助タクシー」。これは日本語でつぶやいた。
 ところが、これまた私の思い違いだった。スウェーデンのタクシーは国際空港までの営業ライセンスしかもっていないこと、そして乗客はそこから、デンマークのタクシーに乗り換えてコペンハーゲン市内に行く手筈になっている。運転手がそう説明した。「心配するな。俺がデンマークのタクシーに交渉してやる」。空港の出発便の入口に車を停め、空車のままダウンタウンに戻るコペンハーゲンのタクシーをつかまえてくれた。
「君たち英語で話し合ったの」
「英語であるはずがない。彼はスウェーデン語。私はデンマーク語。通訳はいらない。言葉がよく似ているんだよ」
 空港で乗り継いだデンマークのタクシー運転手が答えた。言われてみれば確かにそうだ。二つの国民はともに北ゲルマン人で、ほとんど同じ言葉を話す民族だった??。本から仕入れた予備知識が、現地を旅して始めて実感として蘇った。ホテルに着いた。なんと真っ正面にコペンハーゲン中央駅があるではないか。電車で来れば簡単、地理不案内ゆえの回り道だった。でも、それが無駄であったかどうか。
 ホテルで開かれた北欧五カ国プラス日本との会議にはかろうじて間に合った。「ほう、スウェーデンからタクシーで……。いまや地続きですからなあ」。地元デンマークをのぞいて、全員飛行機でやってきた北欧人に、感嘆とも冷やかしともつかぬ論評をもらった。二日間の会議ののち、二時間ほど観光の余裕があった。空港から次の目的地に出かける直前のほんの短い余暇である。さて、どこに行くか。
 帰り仕度の荷物をタクシーのトランクに積み込み私は行き先を告げた。「人魚姫の像に行ってくれ」と。「なんと月並み、かつ陳腐な選択であることか」。われながら苦笑した。
 だが、行き違いや、ハプニングの連続だった往路のようなリスクは避けたかった。それを楽しむ時間の余裕がなかった。無難な場所をコペンハーゲンから一カ所だけ選択すると、あのリトルマーメイドに落ち着くのだ。
 
世界の“三大ツマンナイ”
 何隻かの白ペンキ鮮やかな船が航行している。カモメが飛翔する。ランゲリーニェ(長い線)と名付けられた遊歩道が海岸線を走っている。人魚姫(Little Mermaid)は、遊歩道から二メートほど離れた石の上につつましやかに座っていた。魚の形をした脚を海に向かって投げ出し、右手を岩について、肩越しに私を見つめていた。デンマークの誇るアンデルセンの童話「人魚姫」を、バレーで踊ったプリマドンナをモデルにした実物大の像だという。北欧人にしては、ほっそりとしていて、背も高くない。
 一九一五年の作、「デンマークのカールスベア・ビールのオーナーがバレー“人魚姫”に感謝して製作させた」と旅行案内書にある、たしかにいい作品である。だがわざわざ見物に出かけるほどのものではなかった。日曜日の早朝だというのに観光バスが横づけになり、数十人の旅行者が記念撮影していた。彼らとて、多分同じ気持ちだったろう。
 以前、パリで旅行エージェントをやっている女史から、「世界の数ある観光名所で、三大ツマンナイがあるが、どこかを当ててごらん」と言われたのを思い出した。答は、ベルギーの小便小僧、ローレライの岩、そして、この人魚の像だ。前の二つのスポットはすでに私は訪問済みだ。これで完結したのだ。「どうせツマラナイ」と思いつつも、つい出かけてしまう。それが名所の名所たるゆえんだろう。
 好奇心なのか、群衆心理なのか、一度は訪れたいと人々の心を揺さぶるものは何か??。それは情報力というものだろう。ライン川のただの岩が、世界名所になり得たのは、ハイネの「なじかは知らねど…」の詩のおかげだ。人魚姫もそうだ。「名物にウマイモノなし」と言い伝えがあっても、つい買ってしまうのと同じ心理ではないか。
「人の往く裏に道あり花の山」。これが旅行の醍醐味だ。そういう見方をすれば、ハプニングと手違いだらけの往路の方が、貴重な思い出として心に残るに違いない。
 



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