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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 「インド」びっくり紀行(2) ヒンドゥー教、その“心の宇宙”  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 2000/04/11  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  ガイド君の出自は「バラモン」階級
 この国を訪ねるのなら、宗教、とりわけ、ヒンドゥー教のもつ心の世界について、多少なりとも興味をもたないと、不毛の旅に終わることだろう。「インドとは、カレーはウマイが、何がなんだかわけのわからぬ国」と納得いかぬまま帰国するのがオチである。どうせヒンドゥー教とその“心の宇宙”にふりまわされるのなら、逆にこちらから、フトコロに飛び込んでやれ、とインド人相手に好んで、「ヒンドゥー」を話題に選んだのである。
 デリー空港で、迎えの車に乗ったら、早速、ヒンドゥーの心の世界にひきずり込まれた。
「僕、Cox&Kings会社のガイドRaj Gaurです。ラジは、王様という意味で、僕の階級(カースト)は、バラモンです」。英語力100%、日本語力70%の、デリー大学卒の若いガイド、ラジ君がそう言って自己紹介した。インドのカースト制度については、知っていた。だが、日常的なあいさつのなかに、こちらから聞きもしないのに、かくもさりげなく出てくるとは……。日本人が所属会社を聞かれもしないのに、“○○商事とか○○銀行の××です”とあいさつするのと同じことなのかもしれぬ。
 私のインドのにわか予習によれば、「ヒンドゥー」とは、INDOの語源であり、ヒンドゥー教はその意味では、インド教だともいえる。インド人の八五%が、ヒンドゥー教徒だ。その教義はいかなるものかについて、宗教学者でもない私が論じるのはさし控えるが、それは宇宙・人生観のみならず、生活習慣としてインド人社会に広く、深く浸み込んでいる。カースト制度もそのひとつで、ヒンドゥー教の根本的規範である『マヌの法典』(BC200年〜AD200年に編纂)にこう書かれている。
「階級を無視しての婚姻や共食を禁止する。掟を破る者は、不浄な行為によって社会の秩序を乱すものとみなし、追放される」と。ラジ君に「そうなんだろ」と言ったら、「現代インドの政治の法典であるインド憲法はカースト制を禁じている。でも“マヌの法典”はインド人の心に根をおろしている。字の読めぬ人間も含めてです。たかが五十余年の歴史しかない独立後の政府が、国民の心の奥底を変えようとする。でも、できないです」と。
 日本語が不自由な部分は、彼の得意の英語(彼の英語の語彙の多さには驚く。時折、辞典が必要になってくる)で補足しつつそう言ったのである。彼の属する、バラモン(祭司)は、最高位の階級だが、クシャトリア(軍人、高給官史)、ヴァイシャ(平民、商工業者)、シュードラ(奴隷)と四つのランクからカーストはなりたっている。その下にはシェジュール(不可触賎民・Untouchable)がある。ラジ君は物理学科卒だが、インドの宗教と歴史には造詣が深い。
「インド人の起源は三千年前、北インドに入ってきた欧州と同じルーツの肌の白いアーリア人です。以前から住んでいたドラヴィダ人など肌色の濃い人を平定しつつ、ヴァルナによる身分制度を作った。カーストはアーリア人の古語、サンスクリットで“色”という意味です。そのうち世襲による職業の概念がこれに加わった後に、ポルトガル人が“カスト”と命名した」
 デリーの中産階級に人気の高いインド・レストランで、彼は、カレーの講釈をしたついでに、カーストの起源についてそう解説した。「あなた、他の日本人と違って、観光地につれて行ってもつまらなそうな顔する。僕のガイド聞いていない。そのかわり難しい話すると喜ぶ人だから」と。これには苦笑する。
 
顔は満月、体型はB90、W60、H90
「それじゃあ、ガイドとして、いつも日本人を喜ばせている話してよ」といったら、「インドの美人の定義を教えてあげる」と乗ってきた。ラジ君によると、それは「顔は満月、目は鹿(茶色で大きくて、パッチリ)、鼻はインコ(インコのくちばしのように、緩やかなカギ型)、頬はリンゴ色、唇はバラ色、首は孔雀(細くてやや長い)、髪は長くて黒、身長は百七十センチ、体型は、B90センチ、W60センチ、H90センチ」。二十人に一人ぐらいの割合でこういう美人がいるという。
「色が白ければ、白いほど美人というわけでもないのね」と言ったら、「これカースト制度の話じゃない。色、必ずしも白くなくてもいい。でも、他のカーストとの結婚はインドではとても難しい。とくに女性の親は持参金が大変です。異宗教同士の結婚、それはほとんど不可能です」との答えが戻ってきた。
 一九九〇年まで、インドの駐日大使をやっていたアルジュン・アスラニ氏を、デリーのオフィス街の事務所に訪ねた。アスラニ氏は、退官後、インダス・インド銀行の会長をやっている。さっそく、インドにとってヒンドゥー教とは何か? との問いを発してみたのである。
「ヒンドゥー教とは、インド人の大多数の思想、生活信条そのものをさすのだ。紀元前のアーリア人のもつバラモン教が、先住民のもつ土着の神々や宗教観を次々と取り入れ、ヒンドゥー教になった。だから、特定の開祖や、テキストブックや教団の組織はない。カトリックのようなPope(ローマ法王)もいない」と。
「仏教のカルマ(輪廻)や、サルページョン(解脱)は、もともとヒンドゥーの哲学だ。宇宙と自我の一致をめざすものだ」
 そこで思い切って聞いてみた。「それは現代のインドに役立っているのか?」と。すかさず、明快かつ魅力的な答えが返ってきた。
「ヒンドゥー教はインドの国教ではないが、インド古来から受け継がれた哲学・思想・文化なのだ。それが役に立っているかどうかだって? その質問は、Hindduismはインドそのものである以上、“インドというものは、インドに役に立っているのか?”と聞かれているのに等しい」
 この大使、ただの外交官ではない。哲学者である。それもそのはずであった。
「私はね、ハイスクール時代、ヒンドゥー教に疑問をもった。教義もあいまいで、テキストもない。ヒンドゥー教徒の呪文も、私にとってMumbo Jumbo(チンプンカンプン)でしかなかった。母にこう言った。“ヒンドゥー教を信じることはできない。あれは迷信だ。自分で宗教を創造する”とね。そしたら、母は“善と悪の見さかいもつかぬものが何を言うのか。それはお前の作った悪を人に強制することになる、今のお前に大事なことは、自分にしてほしくないことを人にはするなだ”とたしなめられた」。彼には、そういう心の遍歴があったというのだ。
「若かったあのころの私、“Brave New World”(英国の批評家・小説家Aldous Huxleyの作品)を読んで触発されたんだ。自己主張には、西欧の合理主義と論理がすぐれている。インド人はこれも学ぶべきだ。ヒンドゥー文化を基盤とするインド人の長所は、思索的かつ想像性をもち、柔軟かつ心が広い。抽象、つまり観念や概念に優れている。ついでに短所を言っておこうか。Practice(実行力)が不得意なんだ」
 アスラニさんが描いてみせたこの「インドの自画像」、私にとってわかりやすく、かつ含蓄があった。インドとは何か? それこそMumbo Jumboであった私にとって、はるばるデリーまで出かけてきた甲斐があった。「私は、無給の会長でヒマだから、またいらっしゃい。次回は現代インド論をやりましょう」。そう言って階下の玄関まで見送ってくれた。
 
日本は仏教国なりや?
 インド人の“心の宇宙”探訪のついでに、かねてから、インド人にどうしても質しておきたいことがあった。それは仏教についてである。インドで生まれた仏教が、なぜ、そのインドでほとんど滅びてしまったのか??であった。私の選んだインタビューの相手である文化人類学者、アンドレ・ベティーユ・デリー大学教授の“一発回答”は、アスラニさん同様、きわめて明快であった。
「仏教の母はヒンドゥー教である。ヒンドゥーの解釈によれば、仏陀はヴィシュヌ神の九番目の化身である。それは滅びるべくして滅んだ。仏教は北インドの王の周辺のみに限定された宗教であった。偶像と冠婚葬祭など通過儀礼をすべて否定したので、大衆には深遠すぎて理解不能だった。平等を説きカースト制に反対し、本家のヒンドゥー教に弾圧されたが、大衆の支持がなかったので王家の滅亡とともに滅びた。滅びたというより、ヒンドゥー教に吸収されてしまったと考えるのがより正確だ。なぜ、インド以外で仏教が栄えたか。それはヒンドゥー教が、その地に存在していなかったからだ」と。
 後刻、ラジ君にこの話をした。彼がいう。「私。それ知ってます。でも日本のお坊さん、それ知らない。勉強しない。宗教者らしくない。この二年間で五人の日本の坊さん案内しました。一人の方をのぞくと、他の日本人観光客と全く同じ。仏教の起原に興味もたず、お土産の事ばかり気にしてる」。
 鳴呼、日本とは、仏教国なりや?
 



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