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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 海南島・その光と影(下) 未完工建造物の“墓場”  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1998/07/28  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  開発の残したもの
 現代中国は、半年見ないと、もうどこかが変化している。それほど開発のテンポが速い。出発前、日本で「海南島に出かけます」と高名な植物学者の湯浅洋氏に言ったら、「私がでかけたのは一九八一年ですから、ずいぶん、昔のこと。でも何か参考になるかもしれません」と、氏の絵日記のコピーをいただいた。それによると、当時の海口には、「ビルらしきビルなし」とある。
 だが、一九九八年五月、広州から海口空港に接近する中国民航の機窓から眺めた海南の省都、海口市は、ビルが林立する“小香港”であった。中層ビルの屋上すれすれに民航機は着陸した。有視界飛行であり「夜間は危険なので飛ばない」と、笑顔でジュースと地元紙を配ってくれた機内服務の小姐(スチュワーデス)が帰り際に教えてくれた。ところでお嬢さんは小姐であり、娘とはいわない。中国では、娘はお母さんの意味になる。生半可な漢字の知識をこの国に当てはめると、とんでもないことになる。
 中国情報の読み方も同じことで、時間軸を入れてイメージを組み立てないと、この世の変化に茫然自失の「浦島太郎」になってしまう。湯浅さんの描いた海南はあくまで八一年の海南であり、その時点においては正確無比。だから私のとまどいは湯浅さんのせいではなく、あくまで私の作った海南の事前のイメージと今日との隔たりにある。
 私が見た海口の光景。それは「ビルらしきビルなし」ではなく、「ビルまたビル」。しかも市街地に連なるビルのおよそ三分の一が建設中であったことだ。だがビルの建設現場には、作業員らしき人影がない。だれもいない建築現場、つまり工事が中断されたまま野ざらしになっている未完工ビルの“墓場”とでも名づけられる光景であった。いったいこれは何を意味するのか?
 湯浅氏がこの島を訪れたあのころから、海南にはいろいろなことが起こっていたのだ。あのころの海南は、文字どおり、「南海的海南」であった。南海に浮かぶ海南島という意味で、上から読んでも、下から読んでも同じ。中国ではこれを「回文」という。さわやかな南国の風、白砂と青海、滝、温泉、奇岩怪石、あるいは逆臣の流刑島としての瘴癘の地海南を題材に、回文の手法で多くの詩が書かれた。
 そういう詩体も題材たる自然もそっくり、この島に残されてはいる。しかし、あれからこの島に、それこそ革命的な要素が加わった。それは海南の経済開発であった。中国政府は八〇年、海南島の開発促進を決定、八八年四月海南省を設立、海南経済特別区を設置して、外国の資本、技術の導入をはかった。あのころの中国人にとって、改革・開放と経済開発は美しい響きをもつばかりでなく、この島は「旅游島」転じて金もうけのための「宝の島」に変身したのだ。この島に高級外車を大最に輸入して、大陸に転売したゼニゲバの話もある。中国では、これを海南島事件と名づけている。
 いまでも、こういった地下経済の話は、ひところよりも下火になったとはいえ、依然として後を断たない。地元紙、海南日報にこんな記事があった。見出しは「海口特大金融詐欺案」。犯罪容疑は、二三%の高利をつけるとヤミ金融をもちかけ、三百万元(六千万円)を集めたが、話がおかしいと気がついた預金者から返還請求があり、元金を返済したという事件だ。海南中級人民法院は、三人の詐欺男に七年の有期刑を言い渡した。未遂事件だから七年ですんだが、犯罪が完全に成立していたら死刑ものだ、と現地の華人が解説してくれた。公開処刑も、海口では時折、あるという。
 少なくとも九六年ごろまでの海南はヤミ屋天国だったとのことだ。百ドル札のニセ物が出回り、街の文具屋でごく初歩的なニセ札発見機が売られたこともあるとも聞いた。早速、デパートやそれらしき商店を探したが、お目当ての商品は発見できなかった。ニセ札騒ぎも治安当局の取り締まりでおさまったのだろうか。それとも幼稚な機械では、精巧なニセ札に歯が立たないので、売れなくなってしまったのか?

海南に行けばバブルが見える
 海口で見たビルの“墓場”に話を戻そう。これも宝の島に浮かれたヤミ屋の話と同根である。もっとも、法と秩序で善悪を分類すれば、ヤミ屋は非合法、ビル建設は合法であり、あくまで「善」に属するという違いはあるにはあるが……。だが、その「善」もやり過ぎると経済学的には「悪」に転化する。外資を呼び込んだ無秩序な過剰投資で、大規模なバプル経済が発生、そして九四年の北京政府のマクロ経済引締政策によって金融が破綻、海南のバブルは破裂した。そして、建築中のビルだけが、雨ざらしのまま残ったのだ。
 同じバブルの崩壊といっても、日本では銀行や企業の帳簿上の話だ。だから仮に外国人が日本にやってきて、「バブルのはじけた現場を見たい」と言っても、しょせん、それは無理難題だ。だが、この島では、それを至るところで、見たり触ったりすることができる。
 この島では、ビル建設の足場は、日本のように鉄パイプではなく、竹で作る。竹はやがては朽ち果てる。雨ざらしのまま工事を中断すると三年ともたないという。だから、竹の足場がそっくり残っているもの、跡形もなくなっているもの、あるいはわずかに残っているものなど、竹の寿命で、バブル形成の年次が推察できる。なぜか、基礎を打ち、鋼材で各階層の仕分けをし、そして床を張り、さらにコンクリートを流し込んだ半製品のビルが多い。完成すれば、オフィスビル、ホテル、そしてショッピングセンターになるはずだったという。いくつかの未完成ビルには、生活反応がある。竹ザオに洗濯物が干してあり、かすかに煮炊きの煙がただよっている。招かれざる流民が住みついたのだ。
「海南に行けばバブルが見える」。私はそうつぶやいたのである。愛国者で若きエリートの案内役、張向東君が早速、聞きとがめた。
「何ですか。そのバプルというのは……」
「英語で泡のことをバブルというの。経済が中身のない泡のようにふくらんで、はじけてしまった。それをバブル経済というんです。この島のバプルがはじけ、その残骸が、この未完成の建造物の墓場です」
 張君は、ぶぜんとして言った。「先生、あなた建築工学者ですか。私は何も隠さずに海南を見せてます。それなのに工事の中断した建造物にしか興味を示してくれない。私、困ります。そういう一面的な観察は……」。「いや、何でも見るのがジャーナリスの本分ですから……」とか、何とか弁解しつつ、張君の提案に従った。
「天涯海角」に行ってみようと、中国人民銀行の二元札をくれたのだ。表にはこの島の先住民族の二人の小姐の顔が描かれている。黎族。苗族だ。彼女らの言葉では、日本を北京語のように「リーベン」とは言わない。「ヤッポン」もしくは「ジェッポン」という。前者はドイツ語、後者は英語に近い。それを聞いて興味がわいた。札の裏には、天涯海角(天と海の果て)を象徴する「南天一柱」の奇岩怪石の絵が印刷されている。

「日はいつ昇る」
 天涯海角の一帯は、この島の南端の都市、三亜市に属する大観光地だ。江沢民首席の詩が巨石に刻まれている。「碧海連天遠、●(王へんに京)崖尽是春」(碧い海ははるか天に連ながり、海南の崖はことごとく春なり)とある。字の達者なのに感銘する。歴代の封建王朝が逆臣を島流しにしたのが、天涯海南の名の由来とのことだが、江沢民氏は、それは昔のことで、今はことごとく春なりと告げているのだろう。
 江氏の碑文から山を登ると「鹿回頭」(鹿が振り向くの意)がある。若い狩人が鹿を涯に追いつめ、弓矢で射止めようとした。鹿は振り返って、妙齢の女に化身、命乞いした。若者は弓矢を捨てて、二人は結ばれた。そういう故事があると張君が教えてくれた。
 海南の自然の豊かさ、そのなかでこの島は貧しかった。そして開放して開発が促された。確かに生活は依然よりも格段に豊かになった。だが、商工業と観光開発のスピードがあまりにも速過ぎた。だから、この島のもつ豊穣にして豊饒なる潜在能力は、まだ適切には生かされていない。張君にやや説教めいたことをいいつつ、鹿回頭で、涯の下を振り向いて、驚いた。
 遠く海に至るまで、見渡す限り、建てかけの鉄筋コンクリート造りの別荘の残骸が、点在していたのだ。
 帰途、三亜の国際空港に向かう道すがら、車で、一巡した。完成はしたものの期待されたお客が入らずに年に一千万元(二億円)の赤字を出している閑古鳥の鳴くホテル。数百の別荘団地、人間の住んでいるのは、警察の派出所と深●(土へんに川)大学の教職員の保養施設の二戸だけ。真っ白な水道タンクが数基ひっそりとそびえている、海と浜は美しい。道ひとつ隔てた松林の中には、おびただしいサボテンが花を咲かせていた。
「もったいないことです」。さすがの張君も絶句した。「でも、必ず生き返ります」とつけ加えた。張向東。毛さんの文革時代の生れである向東は、毛さんをたたえる歌、「東方紅、太陽昇……」にちなんだものだという。
 海南経済に再び太陽が昇るのは、いつの日か? 何日太陽再昇? 彼は答えをためらい沈黙のままだった。
 



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