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著者: 歌川 令三  
記事タイトル: 朝市と「BELINDIA」 リオ・デ・ジャネイロに行く(下)  
コラム名: 渡る世界には鬼もいる   
出版物名: 財界  
出版社名: 財界  
発行日: 1997/06/10  
※この記事は、著者と財界の許諾を得て転載したものです。
財界に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど財界の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。  
  食料は豊富で安い
 ブラジルの貧富の差は、世界一の“社会主義的平等国家”に住む日本人にとって、想像の範囲を通り越している。統計を見るとブラジルの一人当たり国民所得は、約三千ドルである。だからこの数字から見れば、この国は貧しくはない。だが、それは違う。日本人のように「国民の九〇%が、自分は中流」に属していると思っている人々にとってこそ、この種の平均値は意味があるのだ。
 ブラジルの“持てる人”と“持たざる人”に関する統計を見て驚いた。一億四千万人のブラジル国民のうち、所得の順位で上位の一〇%の人々が、この国の全所得の半分を占めているではないか。簡単な算数をやってみると、問題の所在がはっきりする。一億四千万人の一〇%、つまり千四百万人の人々は、この国の全国民所得の半分、つまり二千百億ドルを得ている。一人当たりに直すと一万五千ドル、四人家族だとすると、このクラスに属する家庭の年間収入は六万ドル(一ドル=百二十五円で換算すれば七百五十万円)に達する。
 それにひきかえ、上位を差し引いた残り九〇%の国民の一人当たり平均所得は、千七百ドル、四人家族なら六千八百ドルで一年をやり繰りする。もちろんこれは、マクロ統計の分析から導き出した“理論値”なのだが、現地の生活実感から見てこの数字は正しいかどうか。この国に三十年も住み、この国のナショナルキャリア「ヴァリグ航空」のスチュワーデスと結婚し、娘さんもこれまたヴァリグ航空のスチュワーデスをやっている清水さんに聞いてみた。
「まあ、おおむねいい線をいっているんじゃないですか。例えば賃金の決め方。この国は最低賃金の何倍という単位で給料が決まる。インフレ率に応じて最低賃金を上げると、その十数倍に相当する大企業管理職のベアも行われる。現在は月額百十二リアル(一リアル=八十五セント)が最低賃金。この賃金で暮らしている人は、メード、下級店員、未熟練労働者などなど。このほかに、最低賃金以下の非登録の労務者も大勢いるから……」という。
 ブラジル人の三分の二は貧困階級に属し、このうち、水道のある家が三〇%、冷蔵庫が二〇%、下水道のある地区に住んでいる人は一五%しかいないという。清水さんのお宅(リオの海に近い上の中クラスのアパート、購入価格は三千万円、家賃なら月額二十万円とお見受けした)にも、メードがいる。最低賃金クラスの彼女はもう十年以上、郊外のスラム地区から、バスと電車を乗り継いで、一時間半かけて毎日通ってくる。
 いったい、国民の三分の二を構成する貧困層はどんな暮らしをしているのか。清水さんはいう。「耐久消費財や衣料品は、この国の人々にとって高過ぎるが、食料は豊富で比較的安いです」と。
 清水さんに頼んで、リオのセントロ(中央区)にある朝市に連れていってもらった。「一五〇〇年、われ、ブラジル発見せり」にちなんだ公園。黄色のネムの木が雨上がりに鮮やかだ。百数十軒の露天商が、食科品や雑貨を並べている。
 タマゴが三十個で一・四リアル、牛肉一キロが三・四リアル、ニワトリ肉が一キロで一・九八リアル、ジャガイモ一キロ=○・七リアル、サツマイモとサトイモがともに一キロで一リアル、ニンジン一キロ=一・六リアル、玉ネギ一キロ=一・○リアル、オクラが一キロで二・四リアル、ミカン一キロ=二・五リアル。目のさめるような黄色のバラが一輪一リアル。
 一リアルはおよそ百円。日本の尺度で計ったら格安だが、ブラジルの三分の二を占める貧困層にとって、手が出ない価格ではない。だから、ブラジルはアフリカや一部のアジアとは異なり、餓死者は一人もいない。
「農産物は新鮮でしょ。しかも品質は極上です。これは日本人の移民の努カの結果です」と清水さん。午後になると鮮度はやや落ちてくるが、値段はぐっと安くなる。夕方になると、売れ残りのしなびた野菜は捨てられるが、拾いにくる人もだいぶいる。この朝市だけではなく、ブラジル中の露店がこの調子だから、飢え死にする人はいない。
「スラム街の住人といっても、食生活はそんなに悪くないですよ。メードの家に二、三回招待されたことがあるけど、それなりのごちそうを工夫して作っている。何年かぶりで出かけたら、平屋建てのレンガの家がいつの間にか二階になっている。少しずつレンガを買い集めて、家族労働で建て増しをやるんです。そこに彼女の親戚が大勢集まって、大パーティを催してくれた」
 清水さんが何年か前にあげた古い家具や、シーツや、古着も大切に使っていたとのことだ。
「そのパーティにはシュラスコもありましたか」と私。シュラスコとは、ブラジルのカウボーイの豪快なバーベキューだ。牛肉や豚肉の大きなかたまりを串に刺し、岩塩をまぶしてじっくりと炭火であぶり、テーブルの上で好きなだけ切って食べる。「上質の肉とはいえないけどね、もちろん。フエイジョアーダもうまい。もともと、農園で働く奴隷階級の黒人が発明したごった煮ですがね。豚の足や臓モツ、耳とかシッポを黒豆といっしょに煮込むのです」
 清水さんはこうもいう。
「フェイジョアーダをサカナに、ブラジルの砂糖キビで造った焼酎(ビンガ、三〇度から五〇度)をやるのは格別でした」
 ブラジルの別名は「BELINDIA」である、と米国の社会学者はいう。べルギーに匹敵する工業力(自動車生産世界八位、航空機生産六位、鉄鋼生産七位、武器輸入六位)の工業を持っているくせに、インドと同じスケールの貧困さをもつ奇妙な国という意味だ。
 ブラジルの大金持ちは途方もない富者である。五%の人間がブラジル全土の八○%の土地を所有し、軍事政権下の社会主義経済のもとでも、生産手段と資本は事実上私有していた。この国の特権階級の生活はべルギー人の金持ちも、とうてい及ぶまい。だが貧者の生活はインドほど悲惨ではない。最低賃金組も、そこそこにくらしているふところの深い不思議の川ブラジル??これがリオの朝市の実感であった。
 ブラジルの不思議といえば、もう一つある。先祖が同じアフリカから奴隷で連れれて来られたのに、大男ぞろいの米国に比ベブラジルの黒人は比較的小柄でスリムだ。なぜなのか?
「米国南部の植民地経営者は、奴隷市場で優秀な労働力、つまり骨太で、頑強な大男をもっばら“輸入”した。それにひきかえポルトガルは……。要するに十六、七世紀の両国の経済力の差ですよ」
 これは清水説、うがった見解である。
 



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