日本財団 図書館資料庵
日本財団
ざいだん模様 日本財団三十年の歩み 日本財団四十年の歩み 日本財団五十年の歩み(別ウィンドウで開きます) 定款・規程 情報公開(別ウィンドウで開きます) 事業報告書 写真室 アーカイブ
 
Top日本財団三十年の歩み 本史>本史詳細
(昭和55年度〜59年度)
第5節 国際協力援助事業の伸張
4.国連諸機関との連携強化 アフガン難民救済
1979年(昭和54年)の旧ソ連によるアフガニスタン侵攻により、アフガニスタンからの難民が国境を越えてパキスタンに流れ込み、1980年1月には、その数は50万人を超えた。パキスタン政府の要請に応え、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は即座に援助活動を開始し、難民の急増に伴ってその規模は急速に拡大された。
その後、難民の数は1981年4月末までに185万人を超え、さらに1982年3月末までに270万人を突破した。負担が限界に達したパキスタン政府は、1981年には大統領自ら難民に関する国際会議の議長を引き受け、アフガニスタン難民問題の解決を世界に求めた。また、UNHCRも現金と食糧を調達するため、非政治的立場から各国政府と国際団体に対し、より一層強力な援助協力を要請した。
これに応えて、本会は人道的な立場から特に緊急性を要する事業につき、昭和55〜57年度に積極的な援助を行い、国連の活動が円滑に遂行できるよう協力した。55年度の援助金は、食糧その他生活必需の救援物資が各難民村に配布される前に盗難にあう被害を避けるため、救援物資保存用倉庫15棟の建設にあてられた。
56年度は多数の難民が居住するパキスタン北西国境地方において、過密、水不足、衛生設備の不備等、諸々の悪条件により、難民が呼吸器その他の各種伝染病や寄生虫病に苦しみ、また高温多湿の現地の気候に不馴れなためマラリアが多発したので、その保健医療事業に供された。
57年度は、パルチスタン地方に居住する約50万人の難民のための飲料水供給事業に協力した。同地区では難民の飲料水は家畜用の井戸が用いられており、衛生上の問題があったうえに、乾季にはこの貴重な水をめぐって地元民との間にトラブルが起こりがちであった。そのため本会の援助金は、新たな井戸の掘削による難民の飲料水確保に使用された。


 [上]難民に対する職業訓練
 [下]難民への保健医療サービス
 
 
The Nippon Foundation