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(昭和46年度〜54年度)
第3節 協力援助事業の始まり
「青年の船」「東南アジア青年の船」/災害援助 
本会はこれまでモーターボート競走法の趣旨に従って、広く各方面への有益な事業に補助金を交付して、その振興に貢献してきたが、さらに「地球は一つの家、人類は兄弟姉妹」という理念のもとに業務を完遂するために、昭和46年度から運輸大臣の認可を得て、非常災害等援助事業を直轄事業として推進し、人間社会の幸福と繁栄に寄与することとなった。
この非常災害等援助事業は、国の内外に災害が発生した場合やその他緊急援助を行う必要が生じた場合に、運輸大臣の承認を得て救恤金品や救援器材を支給したり、また国の施策などに協力する必要が認められる公益事業に対し、協力援助するものである。
「青年の船」「東南アジア青年の船」
国内協力援助の主な事業として「青年の船事業」「東南アジア青年の船事業」をあげることができる。「青年の船事業」は、明治百年記念事業の一環として(財)日本海事広報協会により昭和42年度から毎年実施されてきたが、48年度からは総理府や青年の船団務処理委員会の要請により本会が直轄事業として実施することになった。
「青年の船」は20歳から26歳までのわが国の青年男女をこれに乗船させ、約2か月間にわたり東南アジアやその隣接国を巡航訪問するものである。巡航中、規律ある団体生活を通じて心身を鍛練し、また巡航先における各国青年との親善交歓などにより、国際的視野を広めるため、船内で各種の研修・訓練を行った。
本会は所要の制服類を支給して団体生活における規律の維持と海外各地での交歓の効果を高め、同事業の成果が一層あがるよう支援した。
この「青年の船事業」は、63年度に発展的に改組されて「世界青年の船事業」となった。同事業は、約70日間の予定で主に北中米を巡航訪問するというもので、わが国と世界各国の青年を乗船させ、生活を共にするなかで、洋上研修を通じて造船に関する科学知識の向上や海難防止の普及啓蒙を図るとともに、訪問国における各種交流活動を通じて青年相互の友好と理解を促進し、国際的視野を広め、急速に国際化する社会の各分野で指導性を発揮できる青年の育成に資することを目的としたものであった。本会は本事業が効果的に実施できるよう、所要の制服や教材等、必要物品を支給して本事業に積極的に協力している。
また「東南アジア青年の船事業」は、49年1月、田中内閣総理大臣がインドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイを訪問した際の共同声明に基づいて実施された。これら東南アジア5か国とわが国の18歳から30歳までの青年、各国30名の計180名を乗船させ、船内においては各国事情の紹介、各国言語の学習、討論会、体育、レクリエーション等、寄港地においては当該国青年等との交流、視察、見学など各種の活動を行うことによって、青年相互の友好と理解を増進することを目的に行われた。本会は「東南アジア青年の船」の団員に対し、所要の制服などを支給して同事業の成果をより一層あげるよう支援している。
災害援助
災害援助事業は国内外での地震、火災、風水害等の発生に対し災害援助金を支出するもので、国内の災害援助は昭和46年4月の広島県呉市郊外で発生した山火事による災害、海外の災害援助は同年5月トルコで発生した地震に対する災害見舞金から始まり、今日に至っている。
46年度から54年度の9年間に実施した災害援助事業は、49年度の伊豆半島沖地震災害援助、48年度のエチオピアの干ばつ救援を含め45件にのぼる。
シンガポールで歓迎を受ける東南アジア青年の船

現地に到着して民泊家族と対面する“青年の船”団員たち

東南アジア青年の船「にっぽん丸」



インド・グジャラート州でのダムの決壊(1979年=昭和54年)

ニカラグア地震(1972年=昭和47年)

グアテマラ地震(1977年=昭和52年)

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