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(昭和37年度下半期〜45年度)
第4節 豊かな社会をめざして
5.オリンピック東京大会への協力 
昭和39年10月、アジアで最初のオリンピック大会が東京で開催された。オリンピックはいうまでもなく、全世界からアマチュアスポーツ選手が集い、強さと技を競う平和の祭典である。わが国経済の高度成長期の真っ只中に開催されたこの大会は、日本選手のめざましい活躍と相まって、戦後におけるわが国の順調な復興・発展を世界に知らしめる一大イベントとなった。
政府はこの大会を成功させるために担当大臣のポストをつくり、早くからその準備に取り組んだ。総工費160億円をかけ、国立競技場、武道館、駒沢競技場、国立室内競技場等を建設する一方、(財)東京オリンピック資金財団が設立され、競技施設の整備や運営資金の調達など大会準備活動を円滑にすすめるため、広く民間から資金を募った。
東京オリンピックを成功させ、アマチュアスポーツの振興に寄与するため、本会も大会準備資金の調達に積極的に協力し、設立初年度の37年度から39年度にかけ総額1億480万円を、(財)東京オリンピック資金財団に支出した。
これらの資金は同財団の配分計画により財東京オリンピック組織委員会の測定機器研究委託費、ヨット研究費、競技用団体事務委託費、(財)日本体育協会のボート・ヨット・カヌーの購入費、水泳・漕艇・水球・ヨット・カヌー選手の研修費、スポーツ国際交流費、用具購入費、(財)東京オリンピック記念世界青少年キャンプ組織会の世界青少年キャンプ開催費等に配分された。
こうした国民的な支援と関係者の懸命な努力によって、オリンピック東京大会の準備は順調にすすみ、39年10月10日、雲ひとつない秋晴れのもとで、世界94か国から5,541名の選手が参加して、国立競技場で華やかに開会式が挙行された。
この大会の模様は、オリンピック史上初めての宇宙中継によって世界45か国に同時放映され、東京で繰り広げられる各競技に世界の目が集中した。この大会にわが国は357名の選手団を送り込み、世界の強豪を相手に、重量挙げ三宅義信、体操遠藤幸雄、ボクシング桜井孝雄、女子バレーボールなど16種目で金メダル、5種目で銀メダル、8種目で銅メダルを獲得して大いに気を吐き、全国民を熱狂させた。
こうして世界を一つに結び、数々の記録や多くのさわやかな思い出を残したオリンピック東京大会は15日間の会期を終え、10月24日、成功のうちに閉幕した。
このオリンピック東京大会は、スポーツ界はいうまでもなく、各方面に大きな波及効果をもたらした。スポーツに関しては、日本選手に世界の水準を認識させ、よき刺激を与えるとともに、広く日本人の従来のスポーツ観を一変させた。これが契機となって、各種のスポーツにわたり競技人口が急増し、スポーツ人口の底辺が広がった。
また、この大会に向け1兆800億円もの巨費が国鉄新幹線、高速道路、東京の地下鉄工事、東京国際空港の拡張など関連事業に投入され、広く社会資本の整備がすすむ一方、多くの大規模なホテルの建設やスポーツ・観光施設の整備も行われ、その後に観光・レクリエーションの大衆化時代を招く下地が形成された。
そして、日本人にとってなによりも大きな収穫は、この大会の成功により、戦後の萎縮した気分を払拭し、民族としての誇りと自信を取り戻したことである。オリンピック東京大会はその後の更なる経済発展とともに、わが国が世界の檜舞台に躍り出る新たな出発点となった。
空に浮かんだ五輪マーク



聖火台

開会式

 
 
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