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(昭和37年度下半期〜45年度)
第4節 豊かな社会をめざして
4.医療・公衆衛生の充実 血液事業
わが国の血液事業は、昭和27年に日本赤十字社血液銀行東京業務所が開設されたのが始まりであり、30年までに全国37か所に赤十字血液銀行が設置され、全国規模で血液事業が展開されるようになった。ところが、37年には売血による輸血から輸血後肝炎が発生し、社会問題となった。これを機に「黄色い血」追放キャンペーンが展開され、血液事業正常化への第一歩が踏み出された。
39年8月、政府は「献血について」の閣議決定を行い、血液事業に対する方針を打ち出した。この方針に沿って、日赤により血液センターを軸に全国規模で献血受入体制の整備がすすめられ、49年の預血制度の廃止をもって輸血用保存血液は、すべて善意の献血により賄う体制が確立した。
61年には従来の200ml献血に加え、輸血効果と安全性が高く、血液の有効利用が可能な400ml献血および成分献血が導入された。これにより今までの2倍の血液を確保することができるようになり、また、成分献血の採用によりそれぞれの患者が必要とする成分だけを確保することが可能となった。このように小人数の献血者の血液で、必要な成分だけを輸血することができるようになったため、肝炎などの感染症やその他の輸血の副作用が大幅に減少した。
輸血による感染が問題となっているエイズやATLについても、61年からその抗体検査が開始され、さらに平成元年には従来から行ってきたB型肝炎ウイルスに加え、世界に先駆けC型肝炎ウイルスの抗体検査を始めるなど、さらに厳格な安全確保が図られた。
本会は事故や災害の危険につねにさらされている現代社会にあって、人々の健康と生命を守るためには、安全で新鮮な血液が常時十二分に確保されていなければならないとの考えから、移動献血バスの配備、血液センターの建設、献血運搬車の整備等の補助を通し、日赤の血液事業に多大の貢献を行ている。
移動献血バスは、街頭または採血能力の不備な地域に出向き採血を行う専用車両であり、昭和41年度から平成3年度までの間に、本会の補助により合計102台が全国に配備された。このうち、平成3年度に配備された4台は、いずれも成分献血用の新型拡幅バスである。今日でも移動献血車で採取される血液の量は全採血量の7〜8割を占め、日赤の血液事業においてきわめて大きな役割を果たしている。
血液センターは、採血車などにより採血された血液を検査し、成分ごとに製剤して医療機関に供給する施設である。昭和43年度から各都道府県に最低1か所設置され、そのうち7センターが基幹センターとして整備された。本会は43年度から平成2年度まで、基幹6センターを含む合計20センターの建設資金を補助した。このうち昭和52年度に完成した日赤本社直轄の中央血液センターは、日赤創設100周年記念事業の一つとして建設が計画されたものであり、世界に誇る最先端の各種設備機器が導入された。
また血液運搬車は、出張採血地と血液センターとの間の血液輸送や保存血液の供給輸送にあたる車両であり、43年度と45年度に合計22台が本会の補助により整備された。
平成2年の献血者数は全国で約774万人にのぼる。その血液は、血液の全成分をもつ全血製剤、赤血球・血小板・血漿等の成分ごとに分けられた血液成分製剤、さらにその血漿から特定のタンパク質を取り出した血漿分割製剤としてさまざまな治療に用いられている。
このうち、全血製剤と血液成分製剤は100%国内の献血で賄われているが、血漿分割製剤については約90%が輸入で賄われているのが現状であり、一刻も早く国内献血によりその自給体制を確立することが求められている。
献血者数および献血量の推移


初期の移動献血バス


現在の成分献血用の拡幅献血車


中央血液センター


献血風景
 
 
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